天下の仕置きについて☆ | げむおた街道をゆく

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真田安房守(昌幸)は再び高坂弾正に問うた。
「大敵の押さえのためには、せめて配下に一国を与えなければ都が危うくなります。

ここを考えれば、信長が配下を大身にしているのも、

この他に仕置の有り様がないからでは有りませんか?
彼の行っている仕置よりも、良い方法があるのでしょうか?

願わくば高坂弾正殿の工夫をお聞きしたい。」

高坂は申した。
「私が存じているのは大したことではないが、4年前信玄公が御他界されたが、

今も御在世ならば天下の仕置をしていたこと疑いない。

なぜならあの時、伊勢、越前、河内、和泉、四国、その他、
紀伊国大和国の小身なる者達まで信玄公に内通し、

その都入りを皆が待ち望んでいたからである。
であるからあの時は、三河の家康さえ押しつぶせば、

信長がいくら大身でも、さほど手間は取らなかったであろう。
(このあと家康の攻略について色々書かれているが略)

家康さえ滅却すれば信玄公の都入りに問題はなかった。

しかればその春、東美濃に発向なされる時、
3月15日、その前の14日に私を召し寄せられ、

「信州勢1万5千の人数を預けるので、北越の輝虎を押さえるように。」

と命ぜられ、

その時「私の煩いもこのように平癒したので、来年中には都に旗を立てる。」

と言われた。

天下の仕置とは都をさして申す。

何故ならそこに日本の主、帝王が御座なされているためである。
であるから、信玄公の煩いが後まで平癒し、

3年の内に都に上がり参内を遂げ、勅命を以って都の意見を仕るようになれば、

天下(畿内近国)に信玄公が居ない時は危うくなる。
だからと言って都の周りに大身のものを置くのも危うい。

よって、都のある山城国は禁中への恐れにこれといった城はないので、

屋敷構えを良くして、その屋敷のまもりに逍遥軒(武田信廉)を差し置き、

都近国には敵を押さえるために、馬場、山縣、
内藤、小山田弥三郎、又は木曽殿、小幡、安中、相木など、

そういった者たちを1国に1人づつ郡代に定めて、

その他は譜代の小身なる者たちをいかほども取り立て、

仲の良し悪しを目付け・横目に尋ねて、

それをうまく組み合わせて一国の中に何人も置く。
その他、日本を皆治めれば、遠国にはまた、

国の2つや3つもくれて置く仕置ならば、たとえ信玄公の亡くなられた後、

どれほど分別のない侍に跡を継がせたとしても3年は保つことができるだろう。

前の大将が死んで3年も保てるようにするのは、前代の手柄である。
4年目からは後を継いだ大将の分別が良ければ誉れを得て、

悪ければ恥を得る。
中でも、天下の権を2代保つのは、

ただの家を百代保つより弓箭を取っての誉れである。
信玄公がかつてそのようにおっしゃったのを存じている。

そこから考えれば、

今、織田城介殿(信忠)、三介殿(信雄)は信長に良く似た若者たちであるが、
信長死後は危うい。」

そう、高坂弾正が真田安房守に信長に関する話をした。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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