武田信玄の武勇は盛んになったが、行く末は如何であろうか。
古には小松殿・平家の一族も西海の波底に沈んでしまった。
名を後代に残すにしても、
今の信玄は貴むべき人ではない。
彼の年々の戦いは、ここかしこ、南でも北でもあちこちで、
信玄の軍と聞けば女子供まで、恥ずかしい、悲しいと言う有り様である。
その上数多の命を失わせ、神社仏閣を破却し、
言葉にも出来ないような悪事を行った故であろう、
数年の軍功も、勝頼の代に至って草場の露となってしまった。
誠に、前車の覆るを見て後車の戒めにしなければならないというが、
中々出来ることではない。
武田には侍と生まれてきてあるまじき事どもがあった。
例えば、夫のある女であっても召し寄せるよう遣わし、
従わぬ女は刺殺し、又は牢に入れ拷問をした。
その人々の泣き叫ぶ声は、身の毛のもよだつ恐ろしいものであった。
この一冊は箕輪軍記と名付けたが、実際には治乱記である。
箕輪軍記は世に類ない書籍である。
この軍記は、末の代までも当国の事、言説、聞説を、
人民の身持ちのためにも伝えるのである。
この後、信玄は4,5年の間武勇を振るい軍勢を押し出したが、
非道を行い正路に帰る事無く、
天道にかなわなかったためこれを許すことはなかった。
武家、その他出家沙門に至るまで、非道の罪は皆同じである。
身分の軽い人々にないしては、
なお無理非道の事が多く、世間に悪名を表した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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