永禄13年、駿河花澤城を武田信玄が攻めた時、武田方の落合治部が討ち死にした。
その頸を敵は取ろうとし、一方、治部の弟である左平次は、
兄の死骸を戦場から退けようとして、
このため敵味方入り乱れての競り合いとなった。
この時、信玄の旗本衆は高台よりこの様子を見て、旗本の総攻めのように、
一斉に鯨波の声を上げた。
これを聞いて敵の兵は皆、旗本衆の攻撃があると考え城に入り、
左平次は無事、兄の死骸を退けたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!