武田信玄に攻められていた三河野田城に籠城する者の中に、
村松芳休(一節に法休)という者があった。
彼は伊勢国山田の出身で、笛の名人(異名を小笛芳休といった)であった。
この者、武田軍に包囲された野田城にあって、
毎夜櫓に上って笛を吹いた。
寄せ手の諸将もこれを聞いて、大いに感じ入ったと云う。
ある夜、芳休が例のごとく笛を吹き、その妙を極めた。
この時、武田信玄が陣廻りをしていて、
この笛の音を聞き、
「優しくも、明日を限りと覚悟して吹いているように感じる。
しかし当世の笛の上手の中で、これに過ぎる者があろうか。」
そう語ると、矢文を城中に射込ませた。
その上書きには『笛の殿へ参る』と書かれていた。
その内容はどのようなものであったか、今に伝わっていない。
きっと笛の妙技を賞美したのであろう。
菅沼家譜によると、この村松芳休が毎夜笛を吹き、
敵もこれに聞き入る中、
2月9日、竹を立て紙を張り巡らせた中で、堀端にて笛を聞く者が居た。
これを鳥居三左衛門が訝り、この竹を目印にして鉄砲を仕掛けおいた。
その夜、芳休がまた笛を吹くと、あの竹のあたりに人声が聞こえた。
鳥居は敵が笛の音を聞きに現れたことを知って、矢場より鉄砲を撃った。
目当ての竹のあたりで、
「大将が撃たれた!」
と叫ぶ声が上がり、敵陣は暫くの間驚動した。
この時の鉄砲は、信玄に当たったのだと言い伝わる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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