気遣いは、分別のいろは☆ | げむおた街道をゆく

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ある時、武田信玄公が、このように仰られた。

「世の中には、いろいろな人がある。

分別が充分に有っても、才覚のない人もある。

才覚が有っても、慈悲のない人もある。

慈悲が有っても、人を解っていない人も有る。

人が解らない者の場合、

大身だと、その者が尊敬している人物というのは、十人の内、八人は役に立たない。
という事が多い、

小身の場合は、その親交深い傍輩の悪しき知り合いに近づいてしまう。

このように色々様々に変わって見えるが、結局は、ただ分別が至らぬということだ。
分別さえ能々優れている人は、才覚にも遠慮にも、

人を知るにも功を成すにも、何事につけても良く成すものだ。

このように人間にとって分別の二文字こそ、あらゆる事の基礎であると知り、
朝に志し、ゆうべに思うようにして、分別を良くするべきだ。」

 

と言われた。

内藤修理正(昌豊)曰く、

「信玄公御錠に、人は分別肝要と仰られた。

これは尤もな事である。
それについて、分別と言うことも、学んでその知恵がつくものだ。」

そう申したところ、小山田彌三郎(信有)が、

「願わくば、その方法を教えて頂きたい。」

としきりに問うてきた。

 

そこで内藤修理は、
「気遣いという気持ちがあれば、分別にも近寄るであろう。

この気遣いから全ての事に心付て、
自分の至らぬ部分を、分別ある人に習い、

何事を成す場合でも、この心構えをその度に重ねれば、
自分の心得も出来、猶以て工夫、分別、広才の智のある人に近づく事だろう。
そこを考えれば、気遣いというものは、分別のいろはでは無いだろうか。」

そう内藤は、小山田に教えた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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ごきげんよう!