加藤清正が、国分富隈の島津義久の近辺を偵察させた時に、
「屋形の御座間も庭も、殊のほかに粗末で、
何の備えもなく障子などはみな古反故で補修してます。」
という報告を受けたところ、
「薩州の武辺ぶりは中々自分など及ぶべくもない。」
と素直に感じ入ったとか。
義久は、居城を堅固にしたり、華美にしたりすることよりも、
兵を鍛えることを重要視してたそうで、常々側近に、
「城というものは本来は不要なものである。
兵が弱ければ如何なる金城鉄壁も役にはたたぬ。
兵が強ければ敵を防いで寸地も犯さぬ。城の強弱よりも兵の強弱が肝要だ。」
とも語っていたそうです。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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