慶長7年(1602)、細川幽斎は妻の麝香を伴い、わが子忠興の得た新領・豊後を訪れた。
著名人である幽斎に、ひと目会おうと多くの客が詰めかけ、
その中には、島津龍伯入道義久の姿もあった。
幽斎と龍伯、二人の関係は複雑である。
歌道の師弟であり、秀吉政権への申次だった恩もある。
秀吉の過酷な要求、弟・歳久を、かばい尽くしてくれなかった恨みもある。
が、今日は、細川家の人々も、島津家の人々も、
小倉城に設けられた宴席において、和気藹々と過ごした。
宴もたけなわとなったころ、細川家家老の有吉立行が、龍伯に頼みごとをした。
「龍伯さまは、
世に聞こえし一節切(竹の一節だけで作った小さめの尺八)の名手であられるとか。
拙者共などでは、このような場でなければ聞くことも出来ますまい。
是非にお聞かせ下され。」
「よかろう、しからば所望に任すべし。・・・ただ笛吹くだけでは芸が無いのう。
下野、相伴いたせ。隆達節じゃ。」
「はっ、では、僭越ながら・・・。」
有吉の求めに快く応じた龍伯は、
重臣の島津下野守久元(忠長の子)にも小唄を歌わせた。
“尺八の 一節切こそ 音のよけれ 君と一夜は 寝も足らぬ”
(一節切の尺八の「音」色は満足ですが、貴方と一度、寝ただけでは満足できません。)
尺八の澄んだ音色と、朗々と歌い上げる恋歌に、
両家の侍はしみじみと聞き入ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!