雨乞いの祷☆ | げむおた街道をゆく

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慶長九年(1604年)の夏の初め、

鹿児島では月を跨いでも雨が降らず水が枯れて民が非常に難儀していた。


島津義久は、早鈴神社に詣でて、
「五月雨は 雲重なりて 日比ふれ なへて早苗の うるふはかりに」
「山廻る 雲の誘はば 雨をちて 大御田小田の 早苗うるほせ」
と雨乞いの祷をこらし詠せ玉ひけるところ、

即日盆を覆すが如く大雨が降り旱魃を免れることが出来た。
 

是より、この所の民は此御歌を短冊に写し、旗の端につけ、

金鼓を鳴し舞踊をして祈祷すると、
雨降らずということなく、寛政九年(1796年)夏より雨少なく民苦しむ時にも、

この詞で雨乞いすれば、
即座に雨が国分一郷に悉く降り二百年以上旱魃の憂いはなかったという。
(文化六年(1809年)には義久の雨乞いの様子が書かれた雨乞いの碑が建てられる)
 

また、国分城に居住の頃(慶長九~十六年)も雨乞いを行っており、

大穴持神社にて、
「てるとても ことわりなれや 日の本に ふらずはいかで 天が下とは」
と和歌を奉納してます。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 武将列伝・島津義久、目次

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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