仙石橋
大分県字船頭町より西大分町字勢家に通ずる間にあり。
仙石の名称は天正十四年十一月、仙石秀久、秀吉の命を奉じ、
兵を率い大友氏を援けるに際し、
大友義統、道路を修繕しこの橋を架けもって秀久一行を迎えた事に因り、
名付けて「仙石橋」という。
おそらく当時架けられたものは土橋で、
現在の石橋に改まったのは承応二年、城主日根野吉明の時である。
架橋の竣工なるや日根野吉明、同年五月七日をもって渡橋式を行い、
堀川町幸松興右衛門をして一番に渡らせた。
その際興右衛門、子孫従僕合わせて八十余人、
皆々盛粧してこの橋を渡ったそうだ。
白滝橋
長宗我部信親の愛馬は真っ白な鬣(たてがみ)を持ち、
馬を走らせると滝の様に流れて見えたため、
「白滝」と呼ばれていた。
戸次川合戦にて信親は討ち死にを遂げるが、
残された愛馬は川のほとりにいつまでも佇み、
それがまるで主人の帰りを待つかの様に見えたため、
地元の民が逸話として語り継ぎ、
この地に橋を架ける際、その名を取って
「白滝橋」と名付けたそうだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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