西内喜兵衛という者は、国中武辺の強力(ごうりき)であった。
長宗我部元親の土佐一国平定後、本山城の城任番として、
七日詰めに行ったのだが、常に言うことには、
「わしは小身なので、食糧を揃え、嶮岨(けんそ)な山坂を持ち運ぶのは、
人馬の費えである。
僅か七日間の逗留なれば、その間の飯は自分の家で食えば良い。」
そうして七日分の飯を炊かせ、これを一度に食すと、
「ああ、これで安心だ。家人共は勝手気ままにさせて良いぞ。」
と言い残し、馬にも乗らず立ち越えて、七日番を勤めて帰ってきた。
そうして、
「しばらく飯を食ってないので力が落ちたのか、
草履が少し重く感じるわい。」
と笑いながら人に語った。
さてその頃、どういうことか国中の牛が悉く死んでしまい、
農民は、田を返す(※耕すこと)のに、
犁(すき)を使うことができなくなった。
仕方なく若者十人程が一つの犁に取り付き、牛に代わって田を返したが、
これを見た喜兵衛、大いに笑って、
「お前たち、そこをのけ。わしが引いて見せてやる。」
と言い、その犁を取って牛の如く往来し、田を返し始めたので、
往来の男女は皆立ち留まり、呆れ果ててこれを見物した。
そこに元親が通りかかり、人が群がり集まってるのを見て、
一体何事かと尋ねその理由を知ると、喜兵衛を召し出し、
「士たる者が畜生の役をするとはどういうことだ。
重ねてこの様な振る舞いはしてはならぬぞ。」
と堅く制したので、喜兵衛は恐れ入って退去したということだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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