波川清宗の顛末☆ | げむおた街道をゆく

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長宗我部家家臣波川清宗は、主君長宗我部元親の側近として各地を転戦し、

一条氏攻略時等で数々の武功を挙げたことにより、

元親の妹を娶り一門に列せられ中々の厚遇を受けていた。
 

しかし、人間性に問題がある人だったそうで元親の妹婿であることを誇示して、

生活は贅を尽くしたという。

また、伊予の長宗我部方の大野氏が小早川隆景に攻撃された際に、

救援を命じられ出陣したにも関わらず、独断で隆景と和議を結び退却、

その後すぐ大野氏が攻め滅ぼされる等の失政、粗暴さが目立ったため、

元親は領地と城を没収、蟄居を命じた。

清宗は酒に溺れる失意の日々を送っていたが恨みは募り、

1580年遂に謀反を決意。
これに傀儡として長宗我部氏に擁立されていた一条内政と、

清宗の娘婿北之川親安らが賛同したのだが、計画は事前に露見してしまう。
清宗は出家して高野山に入るということで助命を嘆願したが、

許されずその場で切腹させられ、

一族郎党も悉く討たれた。

一条内政はその後すぐ謎の死を遂げ、

北之川親安は、

自身は謀反に加担していないという旨の起請文を提出したが許されず、

居城を落とされ討ち死にした。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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