若宮八幡宮の鳥居☆ | げむおた街道をゆく

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豊臣秀吉の九州攻めが始まり、

四国土佐の長宗我部元親にも先鋒隊として出陣するよう命令が届いた。

元親は、早速、戦支度を整えると、

恒例の若宮八幡宮へ戦勝祈願に出掛けた。


ところが参拝の際に事件が起こる。
軍旗の笠標が神社の鳥居の笠木に当たって落ちてしまったのである。
供の者たちは顔色を変えた。

「これは縁起でもない!不吉な前兆です。

ご出陣を見合わせた方がよろしくないですか?」

これに対し、元親はこう答えた。

「不吉と皆は申すがそうではない。

これは敵を笠にかけて討つという吉祥前兆である。
神が言祝いでくれておるのだ。そうであろう?」
 

実のところ元親が内心どう思っていたかわからないが、

こう言うしかなかったのであろう。

こうして長宗我部軍は他の四国勢とともに豊後へ上陸、

そして・・・戸次川の戦いで惨敗する。
大事な跡取り息子である信親も討死してしまい、元親は半狂乱となる。

悲しみのうちに帰国。
そして、戦勝祈願の際の事件を思い出す。

「戦に敗れたのも信親が討死したのも、

あの鳥居が悪い!あれは不祥の鳥居だ!
あんなものは無くなってしまえばよい!海に沈めてしまえ!」

こうして鳥居は解体され、船で土佐沖まで運ばれ沈められてしまった。
そして江戸時代を通じて、ずっと鳥居のない状態が続いたのだ。

奉納された絵馬にも鳥居はなく、
松の大木から大木へと注連縄が張ってある様が描かれている。



時は移って、幕末の慶応元年、土佐に地震が起こり、

元親によって沈められた鳥居の根石が自然に浮かび上がって来た。
 

これを見た人々は、

「これは鳥居を再建せよという神意に違いない!」

と恐れおののき、明治三年、おおよそ三百年ぶりに鳥居は再建された。
現在の鳥居はコンクリート製の明治から数えて三代目のものである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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