俵兵衛の鉄砲☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

文禄元年、朝鮮陣の頃の話しである。
 

壱岐島の海辺に福島左衛門大夫正則、戸田民部少補氏繁、

蜂須賀阿波守家政、生駒雅楽頭近世、長宗我部宮内少補元親の五大将が集まり、
対馬への渡海について詮議していた。

この時、沖の方で鳥が飛び回っているのが見えたので
正則が、

「昔、本間孫四郎(南北朝期の武士)は沖の鳥を敵船へ射落としたそうだ。

当世ではいかがであろう?」
と言ったところ、元親が「近代は昔と違い、弓の射手は少なくなりました。
しかし鉄砲ならば昔の射手に劣らぬ者がおりましょう」と答えた。

正則これを聞き「土佐の士には鉄砲の名人ありと伝え聞いています。

いずれかを召して、
あの鳥を撃たせて見せてくださいませんか?」と言い出した。
元親は「家中に鉄砲を撃つ者は数多いが、

飛んでいる鳥を撃てる程の者は知りません。」

と断ったが、
正則が「いやいや、たとえ外れたとしても苦しからず、

ただ慰みに撃たせてみせてください。」

と重ねて言うので
元親はそれならば、と足軽の俵兵衛を呼び、

あの鳥を撃ち落とせる者を呼んで来いと命じた。

すると俵兵衛、

「わざわざ人を呼ぶまでもありません。私にお命じ下さい。
常日頃飛ぶ鳥を撃っているので、あの程度の鳥ならば必ず仕留めます。」

と申し上げた。
元親は打ち笑い、

「諸将の前を憚らぬその心意気や良し、

たとえ撃ち外したとしても恥辱にはあらず。やってみろ。」

と命じた。
 

四人の大将を始めとして、その下の諸士がみな集まり見物となったので、

これ以上の晴れがましさはなかったが、
元親はもし外れたのならば恥辱とはならずとも、

場が白ける事は必至であると内心穏やかではなかった。
                                                

さて、俵兵衛が飛び回る鳥を狙いを定め打つと、

寸分の狂いもなく鳥の体の真ん中に当たり、白毛がばっと散り、

沖の方の岩の上へと落ちていった。
大将を始め、皆一同に、

「やや!撃ち落としたぞ!」

と叫び、その賞賛はしばらく鳴りやまなかった。
されば間(距離)を打たせるべしと縄を張らせたところ、

おおよそ五十八間であった。

正則は感極まり、昔の那須与一にも劣るべからずとして、

着ていた羽織を俵兵衛に賜ったので、
残り三人の大将もこれにならって羽織を下された。
元親も悦に堪えず、また諸将への返礼なればとして、

俵兵衛をその場で士分に取り立て、
太刀一腰を与えたので、

当家他家の面々でこれを羨ましく思わないものはいなかった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 夏草の賦・異聞、目次

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう!