昔の写真を見ていたら懐かしさ限りなく
UPさせていただきます。
中高年も後半に入りかけ、でも
忙しさ等現実の柵から逃れる術なく、ノスタルジーに浸っているわけ
にもいかないのですが、暫し思い出に・・・
秩父鉄道に訪れたのは中学生の
頃だったでしょうか。
早朝、近くの駅から電車に乗って
遥々と向かったようです。
早朝、近くの駅から電車に乗って
遥々と向かったようです。
舞台はお花畑に飛びます。
未だデジカメなどない頃、
(もしあれば夢ですね、想像すら
できない時代でした)
今なら道中ばちばち写真を撮り
ますが貴重なフィルムを現場に着く
まで温存していたことが良く察せ
られます。
未だデジカメなどない頃、
(もしあれば夢ですね、想像すら
できない時代でした)
今なら道中ばちばち写真を撮り
ますが貴重なフィルムを現場に着く
まで温存していたことが良く察せ
られます。
まず最初は影森駅で下車しました。
恐らく貨物の拠点ということでこの
駅で下車したのでしょう。
恐らく貨物の拠点ということでこの
駅で下車したのでしょう。
季節は桜。秩父の山間に所々、
彩を添えます。
彩を添えます。
主力車両は100形でした。
前面三枚窓の顔、運転席は中央で
真ん中の窓が大きく、一つ目小僧
の風貌です。
前面三枚窓の顔、運転席は中央で
真ん中の窓が大きく、一つ目小僧
の風貌です。
上の写真、右側の線路は秩父セメント
の鉱業所に伸びる専用線路だと
思われます。
の鉱業所に伸びる専用線路だと
思われます。
100形が闊歩する一方で、
オリジナルの300系、500系も
健在でした。
300系は急行「秩父路」に使われ
ました。双方とも丸顔ながら湘南系の
風貌を備えてました。
前照灯2つが500系、
前照灯1つが300系です。
オリジナルの300系、500系も
健在でした。
300系は急行「秩父路」に使われ
ました。双方とも丸顔ながら湘南系の
風貌を備えてました。
前照灯2つが500系、
前照灯1つが300系です。
一旦影森駅に戻り、電車に乗って
奥に進みます。
奥に進みます。
交換の為か、暫し停車中です。
次は恐らく浦山口で下りたと
思われます。
思われます。
鉄橋を見上げる場所で撮ってますが、
恐らく浦山川橋梁かと思います。
恐らく浦山川橋梁かと思います。
再び電車に乗り、武州日野で
下車してます。
下車してます。
記憶が定かでないのですが、
この後、秩父路をのんびりと
長い距離歩いたような
気がします。
この後、秩父路をのんびりと
長い距離歩いたような
気がします。
再び電車に乗り、白久駅で
下車しています。
下車しています。
終点の三峰口までは行かず、
最後の目的地、上長瀞へと
戻る形で足を延ばしました。
最後の目的地、上長瀞へと
戻る形で足を延ばしました。
さて、何といっても荒川橋梁。
実物を見て、感動したのでしょう。
暗くなる頃まで、この場所で粘ってます。
実物を見て、感動したのでしょう。
暗くなる頃まで、この場所で粘ってます。
ここは長瀞、電車に貨物、
荒川の流れる音を聞きながら
時が経つのも忘れ佇ずんでました。
時が経つのも忘れ佇ずんでました。
先ほど順光だった太陽光も、
逆光に。鉄橋を渡る列車が
シルエットになります。
逆光に。鉄橋を渡る列車が
シルエットになります。
東武8000系で非冷房車です。
6連収まり切れずです・・・
6連収まり切れずです・・・
この貨物、ホッパ車だけでなく
タンク車や有蓋車も連結
されています。
タンク車や有蓋車も連結
されています。
長瀞を満喫し、駅に戻ります。
夕刻の光なので、露出が厳しくなり
車両が流れるようになりました。
車両が流れるようになりました。
デキ1形→デキ4と
ED38 1は、パンタを下げ無動力
回送のようでしたが、本線上
で見れた姿は、3重連の幻と
映りました。
皆の駅で停車中の姿も追ってます。
ED38 1は、パンタを下げ無動力
回送のようでしたが、本線上
で見れた姿は、3重連の幻と
映りました。
皆の駅で停車中の姿も追ってます。
早朝4時より始まったちょっとした
冒険もこれでお終い。
冒険もこれでお終い。
西武秩父から西武電車に乗って都心を
経由して家に戻ります。
経由して家に戻ります。
終わり