吉田の写真日記_鉄道旅行/小世界放浪

吉田の写真日記_鉄道旅行/小世界放浪

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   鉄道写真を撮り始めてかれこれ40年。時間の許す限り、体力の続く限りは鉄道
情景を求めて全国をさまよい歩いています。
 今まで撮り集め、収集付かなくなっている膨大な量の写真を少しづつ整理して、

この場をお借りして情報共有できたら嬉しいです。

1998.8.14 
お盆明けて直ぐですが、福井鉄道は
平日ダイヤです。当時は通常モード
に戻るのも早かったように思います。


早朝は雨、武生新行が電停を後にする
市役所前




駅前線の当時の起終点、福井駅前電停
200形第2編成



300形

以降中央大通り交差点から市役所前電停を
望む場所で過ごします。
朝の通勤・通学時間帯にかかってきました。
夏休明けの平日ダイヤ、古い車両も
運用に就きます。


120形が現れました。


120形の武生新側の車両の顔

出自は三河鉄道300形、
生まれは1929年(S4年)、
とても古い車両が未だ走っていました。

120形は、
クハ122(田原町側)+モハ122(武生新側)です。


上下線ホーム間を走る駅係員


発車を待つ140形第3編成




140形と200形のすれ違い



電車を下りて勤めに向かう
200形、300形




武生新に向かう120形、
モハ122



120形クハ122


武生新行200形

武部線のトラム化は、2006年。
多くの古い車両が引退しました。
ちなみに市役所前駅は2018年に
福井城址大名町駅に改称されました。
今はトラムが走る、
魅惑の交差点最寄りの電停です。

≪終≫

 

1998年に福井に寄った記憶です。
現在、おしゃれなトラムが行き来する
福井鉄道福武線ですが、当時は武骨な
電車たちが現役で走っていて、
併用軌道を走る姿は、なかなか奇異で
興味深いものがありました。



労働基準協会の広告を掲げて走る
80形第1編成
1998.8.13 市役所前



140形第1編成


200形第3編成




80形第2編成 

80形第2編成はコカ・コーラの広告車。
ラッピングがまだ一般的でなかった当時、
これだけ派手な広告電車は珍しかった。

主力の300形

300形は静岡鉄道からの譲渡車





140形第3編成

140形の出自は1941年(S16年)製造の
長野電鉄300形。1978年に福井に来ました。

自動車が走る2車線道路の真ん中を、
古い大型電車が走る姿は、衝撃的でした。
併用軌道を離れ、専用軌道も見に行きます。


起点の武生新(現 たけふ新)駅側線に
休む車両たち
1998.8.13 武生新


トラムが並ぶ今とは場所が違うのでは?
でも北陸本線が横を走り、間違いなさそう。

手前は留置されている感じの
路面電車560形562号。
出自は金沢市内線モハ2200形。
1968年に名鉄市内線に移りモ660形に。
1989年に福井鉄道に戻ります。
帰郷後はイベント的位置づけでした。
最近は荒れた状態だったようですが、
美濃市に搬送され、今後修復の上、
保存される予定です。
何ともドラマチックな車歴!
奥には120形と140形が並びます。

続いて北府駅へ。




1998.8.13 北府

きたご と読みます。難読です。

本社最寄りで車両工場のある、
福井鉄道で注目の駅。
留置線に古いロコが置かれているのが
上の写真で分かりますが、
これが現在も(2024年)さほど
変わらない風景のようです。


車両変われどもロコ変わらず

福井方面に向かい、家久で下車します。
田んぼも広がる郊外です。


古い駅舎のある交換可能駅
1998.8.13 家久



ポイント部はスノーシェルターを設置。

急行は通過する駅、
のんびりとした雰囲気です。





西武生は、北府に、
上鯖江は、サンドーム西
に改称されています。(2010年)
背後の古い家並みは、
恐らく変わっていることでしょう。


日野川鉄橋に向かう築堤を上る
80形第2編成



日野川橋梁を渡る300形


200形第3編成



緑稲の色と300形

夕刻の市役所前電停へ、再び戻ります。






駅前通りから市役所前電停へ
200形第3編成



300形


80形第2編成


夜も更けてきました。
 

今日はお終い。
明日、平日朝の運用を見ることを
思い描きながら。

≪続く≫

 


小田急線の上り電車で新宿に向かうと、
町田で一旦神奈川県から東京都に入ります。
町田、玉川学園前、鶴川の3駅が東京都で、
その先は再び神奈川県下に戻ります。
この界隈、境界線が複雑なのです。



千代田線乗入れ綾瀬行1000形が到着
1999.6.12 鶴川

9000形に代わる千代田線直通対応車
として登場した1000形ですが、
4000形に役割を譲り2010年に千代田線
乗入の役目を終了、この車両が地下を
走ることは無くなりました。

再び神奈川県下に入ります。


NSEが走る小田原線を跨ぐ多摩川線。
1999.6.12 新百合ヶ丘~柿生

新百合ヶ丘の3つ先、生田駅で下車


NSEの第4編成「ゆめ70」の回送列車
1999.6.13 生田―読売ランド前


営団地下鉄(現東京メトロ)06系
と1000形

東京メトロは2004年に、それまでの
営団地下鉄が民営化されたもの。
営団の正式名称は、帝都高速度交通営団。
 なんだかすごい名前・・・


NSE「あしがら」

とても複雑な小田急特急の愛称名変遷ですが、
「あしがら」は1999年に消えた愛称です。
2019年に3日間限定臨時列車に愛称が
復活したことがあり、話題になったようです。

柿生のホームが見える場所へ


営団6000系

9000系
1999.6.18 柿生

千代田線を走った懐かしい車両です。


LSE「さがみ」
1999.7.3 生田





走る車両は変われども、
踏切風景は変わらないことでしょう。

≪続≫
 

1999年6月5日

再び栢山へ
駅を抜ける長い直線を望みます。


小田急顔のすれ違い
1999.6.5 栢山


踏切を通る人々と電車がぐっと引き寄せて
望めます。


1000形


2600形




左9000形


4000形


1000形


8000形


10000形「HiSE」


 


8000形



5000形


3100形「NSE」

一つ先の駅、富水に場所を変えます。
直線に位置する栢山とは、打って
変わって曲線の線路形状に
ホームはあります。


3100形「NSE」のイベント車両
「ゆめ70」
1999.6.5 富水


1963年デビューのNSEに引退迫る頃でした。
この時には7編成あったうち既に4編成が
引退済。「ゆめ70」に改装された、第4編成と
オリジナル塗装の第5、第7編成のみが
辛うじて残っていました。


8000形



「NSE」と2600形



ホーム端から出ること可能?


1200形

当時小田急の最新の通勤型が
この形式でした。


5000形
1999.6.8 富水



5000形


「NSE」

駅北側には田圃が広がり、手前の踏切に
いたる道は農道の雰囲気です。


5000形


農作業


踏切待ち


8000形


4000形


「LSE」

小田急を頻繁に訪れた時期、
未だ続きます。

新松田、栢山といった駅で撮った写真を
整理しました。

1999年5月29日



新松田で発車を待つ4000形(初代)
1999.5.29 新松田


当時、小田急電車と言えばこの顔でした。
2005年1月に引退。



8000形常務員風景


新松田から2つ目の栢山に足を延ばしています。


2600形
1999.5.29 栢山


貫通扉を備えた、両目の大きい正面3枚窓。
貫通扉下部に行先方向幕掲示と、
助手席窓上に列車種別幕掲示があります。

全体的には猫を連想させる顔立ち。
やはり小田急の通勤型の顔です。


7000形「LSE」スーパーはこね


10000形「HiSE」

LSEがリニューアルされ、合わせてHiSEに
合わせた塗色に変更された時代でした。

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1999年5月30日

翌日は柿生に立ちます。
線路がカーブしている駅西寄りの
踏切付近で構えました。


ホーム端がすぐ横の踏切、
歩行者の頻度が高い。



「HiSE」通過
1999.5.30 柿生



4000形各停


3100形「NSE」の「ゆめ70」

NSEの廃車が進められている時期でも
ありました。「ゆめ70」8編成あったNSEの
第6編成をイベント用列車に改造したもの。
2000年4月まで活躍。


5000形 急行 箱根湯本行

通勤型の主力は、やはり小田急顔の
この5000形。後の新形式も同じ番号が
充てられているので初代と言われます。
引退は2012年3月。


LSE「さがみ」


9000形 各停本厚木行

9000形は千代田打線直通用として1972年に
デビュー。2006年まで活躍。


駅を後にする8000形

8000形は現在も残る唯一の白い色の
電車です。西武鉄道への譲渡が話題。


3100形 NSE「あしがら」


7000形 LSE「あしがら」


営団地下鉄(現:東京メトロ)乗入れの
6000系


車史的にも注目の車両が沢山走っていました。

≪ 続 ≫