再就職後夏の話が続きます。今回はこの会社で起きた珍事件について話をしたいと思います。今日はいつもより短めになります。

 

 この会社では社長の決裁印がないと支払をしてはいけないと言うルールがあることを以前話した。それ以外にも社長の決裁を受ける書類は多数あり、急ぐものはその都度赤のスタンプ台(1000円くらいで売られている普通のスタンプ台)と一緒に事務所隣にある創業家の自宅裏口に届けることになっていた。

 

 婆須はそれと別に毎日出勤状況などを記録したノートを毎日届けることになっていた。あと毎日社長個人が保有している株式の始値を毎朝逐一報告することになっていた(←本来自分が持っている株の管理くらい自分でするべきである)。

 

 社長は常駐しておらず、時々事務所にやってきてはまとめて決裁印を押すことが多い。営業活動は専務が中心になってやるが最終決定権は社長が握っていた。主に銀行との折衝(運転資金確保など)や顧客の獲得など営業につながるようなサポートを裏で行っていた。
多くの場合はスタンプ台は事務所にあるが、この時はたまたま婆須が早く決裁して欲しい書類があったらしくスタンプ台と一緒に届けていたらしい。

 

 社長が書類を持って事務所にやってきたがスタンプ台がないと言う。スタンプ台がないと決裁印を押すことができない。婆須は、

 

「書類と一緒に届けたと思います」

 

と言っていたが社長はなかったと言う。事務所の中にあるからみんなで見つかるまで探せということになった。とりあえず代替として私が持っていた100円均一で買ったスタンプ台を使って決裁印は押してもらうことになった。
 私たち本社の事務4人は全員事務所の隅々まで約3時間以上かけて探し続けたが見つからない。当然のことながらその間仕事は進まない。隅々まで探したが見つからないと婆須が社長に報告すると、社長は、

 

「スタンプ台だから今回は買えばいいけど、これが100万円の手形なら見つかるまで探さなければいけないから失くさないように」

 

とのたまう。1000円前後のスタンプ台と100万円の手形を同じ天秤で比較はできないが、社長の言っていることは間違ってはいない。ただ、そのスタンプ台を探すのに4人で3時間もかけて探したら労務費だけで時給1000円で計算しても1万円以上のムダになる。その時間別の仕事ができないことも考慮するとロスは大きい。これで物は大切に使わなければいけないが、長時間の労力をかけてまで探すものではないことは容易に分かる。節約も必要以上に執着するとこのような大きなムダにつながると言う典型例なので今日は表題の通りのタイトルになった。

 

 ここで社長から日ごろの整理整頓が大切であることが説明された。スタンプ台は結局1台買うことになった。

 

 結局なくなったスタンプ台はあれだけ必死で探しても出てこなかったのに3ヶ月後くらいに婆須の机付近からひょっこり出てきました。この話は元祖ブログでも取り上げたのですが読んだ人はみんなおかしいと笑っていました。

 

 

 話はまだまだ続きます。

 

 

 

 

再就職後夏の話が続きます。

 

 7月の真夏最盛期にこの会社ではできるだけ経費を節減するためエアコンはつけずに乗り切る方針だった。お客さんが来る予定があることが分かっているときには社長や専務から事前に応接室を冷やしておいて欲しいと連絡が入ることになっていた。この徹底したケチ、もとい節約ぶりが堅実な経営につながったことも否定はできない。

 

 20日は支払日なので集金にやってくる取引先も多いが、事務所のエアコンを最低限しかつけないという婆須の方針は変わらないので仕方がない。私は灼熱の西日を浴びて汗だくになりながら仕事をしていた。

 

 取引先も集金などで外を走り回ってくるので汗だくである。建物の中に入ると涼しいことを期待している。この事務所に来たらその期待は見事に裏切られる。確かガソリンスタンドの人だったと思うが、事務所に集金に来て婆須から小切手を受け取りながら、

 

「いやあ、ここ暑いですね。これは省エネですか?」

 

と聞いていた。婆須は涼しげな表情でうなずくだけなので私たちも何も言うことはない。この人は集金が終わるとそそくさと帰っていった。

 

 この頃には専務が退院していて、システムの変更の準備も含めてこの年から3ヶ月に1回会社の全体会議を開くことになったことは以前少し書いた。会議の会場は既に婆須が確保していたので、私はその後に開かれる懇親会の会場の設定を担当することに決まった。

 

 会議場から近い場所でどこかいい食事場所を探すと言う役割だった。それも1人5000円が上限と言われていたので私はインターネットで探していた。幸いいい場所が見つかったのでメールで専務に確認したらいいと言うことなので出席を確認して会場を予約した。人数は20人前後で確定したら前日までに連絡することに決まった。全職員にメールで会議案内書類を作成する。

 

 この会議では第1四半期の3ヶ月での営業の成績を発表して達成しているグループにはインセンティブ(報奨金)を出すことになっていた。その資料の入力・作成も担当することになった。7月の20日締切の数字が確定したら3ヶ月分のデータを作れるように準備しなければいけない。私は仕入の業務を浜中と分けるが少しずつ私の担当比率を上げていたのでかなり慌しくなっていた。

 

 この頃は猛暑で私は家に帰っても休む暇はない。ひたすら連絡メールを送ったり、商品の梱包発送手続きまで全てやらなければいけない。郵便の時間外窓口は24時間開いているので夜中に自転車で荷物を出しに行くことも多くあった。この月は売上が月間40万円以上上がり、過去最高益更新になった。郵便料金の支払も月額6万円に達していた。それを差し引いても手許利益は8万円以上残っていた。この月間最高益の記録は現在も塗り替えられていない。昨年夏も猛暑だったがこれには及ばなかった。

 

 ここから少し話は変わるが、この頃にブログ(ここでは元祖ブログ)経由で、パワハラに関する相談メールが来たことがある。この方の話によると、上司と2人の密室でかなりひどいやり方で嫌がらせをされていたという。毎日説教が2時間は当たり前らしい。この上司が原因で過去に3人ほど退職しているようだ。どうやら私が前事務所で個別労働紛争のあっせんに関することも書いていたのでそれを見たらしくどうしたらいいか相談したいようだった。

 

 私は忙しい中でも対応策は現行法律では3通りあることを書いて(詳しくはこちら )、それぞれのメリットとデメリットを書いてメールを送信した。相談窓口は国がやっている「総合労働相談コーナー」に行って事業主名と受けている嫌がらせの内容について相談するよう書いた。

 

 この相談者は嫌がらせをした本人を何とかしたいと言うが、それは基本的に事業主の環境配慮義務に基づく使用者責任(民法715条)を問うことになることを話した。もちろん不法行為責任(民法709条)も問うことは可能である。どうしても本人をやり込めるなら民事で訴訟を起こすか刑事告訴することはできなくはないが現実的ではない。私のときもこの2つの条文に基づいて事業主の責任を追及している。

 

 この方はすぐに労働局に相談に行くと闘い方については私の説明どおりだと言う。再就職が既に決まっているとのことなので、事業主の動きを見てあっせんをするなら早くやろうと考えているらしい。私はこれに対してあっせんを実際にやっているのでそれに約1ヶ月はかかること、あっせんをすることで再就職に影響しないよう慎重にやってくださいねと書いて返送した。

 

 そうするとあっせんの手前で会社と話がついて本来はもらえない退職金を少し出すと言う形で決着したと言うお礼のメールが来ていた。私は苦しい思いをして闘った過去は間違っていなかったことを改めて実感した。

 

 当ブログでも似たような相談が来るようになり出したので、労働問題で相談することもできずに困っている人が多くおられることが分かります。個々の事例に応じて対応が異なりますので国が運営している

 

 

「総合労働相談コーナー(無料)」

 

 

に事実の経過をまとめた上で相談されることをおすすめします。上記リンクで全国の窓口が調べられます。

 

 

 話はまだまだ続きます。

 

 

再就職後夏の話が続きます。

 

 前回私が自閉症ではないかと言う話が出ていたが、私はまだその意識は皆無だった。アイコンタクトは言われたので少し気をつけるようになったがそれ以外の特徴は基本的に変わらなかった。

 

 そのような環境下で本業が忙しくなりつつある中で副業のオークション部門も過去最高益を更新するほどの忙しさだった。このオークションの運営は仕入から商品の発送まで全て自分でシステムを作り上げたので確認さえ怠らなければミスはほとんど起こらない。ヤフーオークションはトラブルが多いと言われる方もおられるがほとんどの方は健全な取引をされるので私はトラブルはほとんどと言うくらいない。この会社は兼業禁止規定があったが趣味の範囲内と言うことで黙認されていた。

 

 7月中旬になると専務が首の手術をするために滋賀県の病院に入院することに決まっていた。入院期間中は本社の管理責任者は婆須が担当することになっていた。入院してからは術前検査をしてから手術が行われる。社長と奥様は唯一の後継ぎなので気が気ではなかったようで病院に張り付いていたようだ。

 

 女性陣はみんなでお見舞いに行く日程を決めていたようだが、この時私は忙しすぎてなかなか時間が確保できない状態だった。そこでどこの病院に入院しているのかを教えてもらって土日の時間が空いた昼に1人で行くことにした。手術が終わって落ち着いた頃を見計らって土曜日の昼1時頃を狙って病院に行くことにした。この日は専務のお見舞いに行ってから京都に戻り、京都市内の複数の店舗を仕入で走り回ると言う強行スケジュールになっていた。

 

 病院に着いたらちょうど午後1時だった。医事課で専務のフルネームを言って病室を教えてもらってから病室に向かうことにした。手ぶらで行くわけには行かず少しお見舞いを現金で包んで持っていくことにして準備していた。病室に着くと専務は元気そうでもう外出しようとして準備していたらしい。そこへ私がやってきたので、専務は、

 

「おお、てつさん。来てくれたのだな。有難う。仕事はどうだ?」

 

と聞かれたので、

 

「忙しいですが何とか頑張っています」

 

と答えた。見舞いに長居は無用なので必要なことだけ聞いてお見舞いを渡して帰る予定だった。私にも後の予定が詰まっている。手術の結果を聞いたらレントゲンの写真を見せてくれた。これで首は大丈夫らしいが腰の痛みは取れないらしい。頃を見計らって、

 

「これは少しだけですが僕から..」

 

と言って渡そうとしたが、専務は、

 

「気を使わなくてもいいよ。そんなに多く給料出してないから。こうやって来てくれただけで十分だよ」

 

と受け取らなかった。私ももう1度差し出したが変わらないのであきらめた。私は外出届を書いているところを見ていたので、

 

「では、専務も外出されるところにお邪魔してすみません。今日はこの後僕も予定があるのでもう帰ります」

 

と言うとどこに行くのか聞かれたので、京都市内に戻って仕入巡りをすることを話すと、

 

「じゃあ気をつけて。今日は来てくれて有難う」

 

と言ったので私は挨拶をして病室を出た。私は京都に戻ってから京都市内を巡ってから帰宅した。私は基本的に車は運転しない。公共交通機関の方が安くつくからである。荷物が多くてかさばる場合は1個500円ほど配送料がかかるがまとめて配送してもらう。この時に包装紙などの梱包資材もつけてもらい一緒に送ってもらう。

 

 無事帰宅したらまたヤフーから大量の落札メールが届いていた。私はこの次の日は大阪まで出張で買い付けに行き、よく売れる商品を多く確保した。

 

 私は週明けに土曜日の昼に専務のお見舞いに行ってきた事を話して、

 

「専務元気そうでした。1時頃に行ったらもう外出届けを書いておられました」

 

と言うとみんな安心していた。女性たちはこの週のどこかで仕事が終わってから行くことに決めていたようだった。

 

 専務は予定通りに退院できる見通しになりました。基本的に専務は京都の営業所にいることが多いので本社の事務は婆須の院政がこの後も続くことになります。取引銀行の人たちにも従前の「婆須課長」と呼ばせていました。

 

 

 話はまだまだ続きます。