再就職後秋の話が続きます。

 

 システムの変更は翌年の1月度から実行されることに決まった。それに伴って11月に3回目の全体会議が行われるので、今度は会議会場の確保も私に指示が来た。今までの会議場が予定日に狭い部屋しか空いていないので、京都駅前の別の会場にすることを専務に提案して了解された。懇親会場も私が確保することになった。

 

 派遣社員の浜中が契約期間満了に伴い退職したので、仕入に関する業務全部を私が担当して各種経費の一覧表の作成も必要になり、私は仕事が一気に増えて忙しくなっていた。

 

 仕入については基本的には買ったものは支払うのが当たり前なので請求書を月末までに送ってもらうようになっていた。仕入先には個人経営の小さな町工場もあるので事務手続きが遅いところも少なくない。私は浜中から引き継いだときには請求書を早く出してもらうようお願いの電話をしていた。

 

 10月も以前と同様に請求書をお願いしていたら婆須が、

 

「請求書を出してこない仕入先には支払う必要はない!(←翌月回しにすればいいという意味)」

 

と豹変したので戸惑うほかなかった。鳥谷が言うには大手は1日でも遅れたら翌月回しにされるらしい。あまりに婆須が血相を変えて怒鳴りつけるので、私は請求書の依頼を電話からファクシミリに切り替えた。いつも遅いところにはタイムリミットを決めてそれまでに請求書が来なければ翌月処理とする連絡をした。

 

 婆須から引き受けた接待交際費、福利厚生費の一覧を作成もやっているのでこれも毎月やらなければいけない。これも社長がいくら専務がいくらと月間の上限額が決められていて、その範囲内で処理するよう求められた。

 

 私は仕入や経費、接待交際費一覧などは全て婆須のチェックを受けることになる。婆須は私の処理に少しでもミスがあると容赦なく追及の嵐を浴びせる。婆須は日ごろから社長に強い口調で叱責され続けているので、自分もそのようにしてもいいと考えているらしい。

 

 私が言っていることの意味が理解できずに黙り込んでいると大声で怒鳴りつけることが増えるようになった。鳥谷が5時で帰るので、5時から6時までの1時間は婆須と私の2人だけになる。この1時間に集中して私を何かあるごとに責め立てるようになった。

 

 私は1人で仕入業務をやるようになってから業務が一気に増えてパニックに陥っていた。基本的に残業はしないように言われていたが処理が追いつかないので8時頃まで仕事をすることも増えるようになった。

 

 私は相変わらず朝は誰よりも早く来てみんなが嫌がるトイレの掃除も女神様みたいになれなくても毎日やっていた。この頃には婆須は何かにつけて私の文句を言うようになっていたので、

 

「毎日トイレの洗剤のにおいがする」

 

ということも平気で言うようになっていた。これで浜中が契約を更新しなかった理由が分かるようになって来た。浜中は9時出勤で掃除はほとんどしなかったのでここまでは言われていなかったようだがきつく言われていたことは容易に想像できる。

 

 婆須は私が全社員に送るメールの1文にまでひと言言われるので気が抜けない。そのくせ、自分は「団塊の世代」を「だんこんの世代」と読んでいた。よっぽど「だんかいの世代」ですと訂正しようかと思ったが仕事と関係ない話だったことと後で何倍にもなって返ってくるのが怖いので黙っていた。

 

 私はそれでなくても業務が忙しいのに周りの状況まで頭が回らない。そんなときに限って電話料金節約の勧誘などの電話がかかってきて、早く切りたいのになかなか切らせてもらえない。電話が終わったら今までやっていた業務を忘れてしまうことが多いので、時間のロスが多くなった。

 

 私は回りに味方がいなかったのでほとんどサンドバッグ状態だった。それでも時折レコーダーを忍ばせるなどして記録は残しておく努力はしていた。

 

 10月の処理は大幅に遅れてしまったので少し手が軽くなった婆須や鳥谷が少し手伝ってくれたので何とか処理を間に合わせることができた。この後もシステムの変更に向けた対応で慌しい日々が続くことになる。

 

 婆須は私の業務の細かいところからも1つ1つ積み上げて追及することが増えるようになりました。大声で怒鳴られたら表情が変わらずフリーズする私は無視しているようにとらえられてさらに厳しく言われるようになりました。後何かにつけて「男なのだから」と言われるのも理解不能でした。婆須がここで人格否定を積み上げることで潰すことを考えていることまでは読めず、辛抱するしかありませんでした。

 

 

 

 話はまだまだ続きます。

 

 

 

 

再就職後秋の話が続きます。

 

 8月はお盆休みなどがある関係で比較的業務は少ない。浜中の契約期間満了が迫ってきたので仕入の分担比率を私が3分の2まで引き上げ、浜中には業務の引継ぎなどを中心に進めてもらうことになっていた。私は1通りオフコンも取り扱うことができるようになっていたので、浜中は徐々に残りの有休を消化し始めることになった。もう婆須にきつく言われてもあと1ヶ月ちょっとと割り切って接していた。各種経費のチェックは婆須を避けて私に持ってくることが多くなっていた。浜中の契約が満了になるとこれらの作業も担当することになるので請求書との照合をしながら点検を行った。

 

 浜中は派遣社員であることから、自分の仕事をこなすこと以外には非協力的だった。派遣社員と言うと大手から見れば賃金が安くて切りやすいことで問題になったことがあるが、中小企業から見ると人件費はむしろ直接雇用よりも高くなる。これは派遣会社の取り分や社会保険料なども含まれるからであるが、雇用契約はあくまでも派遣元の会社と結んでいるので派遣先である会社は派遣元に人材派遣契約に基づいた給与を支払うことになる。派遣元はこの給与を一部ピンハネして派遣労働者に賃金を支払う。

 

 全員がそうだと言うつもりはないが、派遣社員は上記理由によりどうしても派遣先の社員であると言う感覚は乏しくなる。ただ契約期間は守らないと次の仕事が来なくなるので契約期間が来て続ける気がなければ別の職場を紹介してもらえることは派遣社員の数少ないメリットの1つである。浜中も多くの職場で働いた経験があるようで対応は丁寧だったが、社員がごっそり抜けた後のパニック期に来て婆須にもかなりきついことを言われていたようなので1年の契約期間が切れる9月の末で契約を更新しない意思表示を早くからしていた。

 

 浜中と鳥谷との関係は良かったので、鳥谷は寂しそうにしていたが、浜中は9月中に業務を私に引き継いでさっさと次の職場を見つける準備をしていた。

 

 9月には各種経費の計算のやり方を教えてもらい一緒にやることになった。ガソリン代などは営業担当者ごとに計算しなければいけないので単純だが処理はかなり面倒である。

 

 この会社は20日締切なので9月締切分の仕入業務は実質ほとんど私が担当することになり、浜中には少し手伝ってもらう程度になる。社長は結構義理堅い性格なので誰が辞めるときでも、

 

「寂しくなるな」

 

が口癖だった。もっとも京都の人間なので本心で言っているかどうかは怪しい(←営業も事務も定着率は悪い)。気性は荒く、仕事が思うように進まないと大ベテランの婆須にでも厳しく言う。浜中が言うには作った書類に大きく×をつけられて返ってきたことがあるという。

 

 浜中がいなくなると婆須の罵声は私に集中することだけは間違いなさそうだった。私は10月以降は忙しくなる上にさらに人間関係が難しくなることは必至だった。私は本社で唯一の正社員なので責任も重い。婆須は、

 

「私の後継をやるなら、どんな情報にもアンテナを張り巡らさないと難しいよ」

 

と言うなど自らの院政を確実にするために少しずつ私のプライドを削り始めていた。パターンが変わるとパニックになる私は今後さらに苦しむことが確実になった。

 

 浜中は9月末の最終出勤日には笑顔が目立つようになっていた。やっとこの職場から逃れられると安堵しているようだ。終業時間の午後6時になると社長がやってきて花束を手渡していた。机の整理が1通り終わったら婆須と私に挨拶をして帰っていった。

 

 10月からは私が浜中のいた席に移動して業務をすることになる。灼熱地獄からは逃れられるが婆須の隣の席で常に婆須の監視下で仕事をしなければいけなくなった。これはかなりのプレッシャーだった。

 

 人間関係がうまく作れないまま仕事だけが忙しくなる状態がこの後続くことになりました。夏に忙しかったオークションは通常並みに戻りましたが家に帰ってからものんびりする余裕はありませんでした。状況に応じて臨機応変な対応が思うようにできない私は次第に厳しい立場に立たされることになります。

 

 

 話はまだまだ続きます。

 

 

再就職後夏の話が続きます。

 

 この頃に専務から本社の4人に課題が出された。今後本社の事務担当をする上で何でもいいから改善すべき点を10個提案して欲しいということになった。10個と言うのはなかなか厳しい。とりあえず現在の業務を見た上で私が1番新しいので気がついたことで労力やコストの削減につながりそうなことを列挙することにした。

 

 まずは帳簿が全て手書きだったので会計ソフトの導入をすれば預金の残高や資金繰りの管理もかなりやりやすくなることを提案することにした。あと仕入がオフコン、売りが別のソフトで運営されていたので統合したほうがいいと思った。プリンターも専用の用紙がいるドットプリンターだったので普通紙で出せるプリンターに変更すればコストの削減につながることも考えた。

 

 あと仕入などの振込みは全部銀行の専用伝票に手書きしていたが、パソコンを使ったファームバンキングの導入をすると労力の削減につながることも考えていた。運送コストもかなり高かったので郵便の料金後納契約をすればコスト節減にもなりその都度の現金が不要になるので手間が省けることを書いた。

 

 婆須や鳥谷、浜中も考えていたが改善点と言うよりは現在行っている業務を列挙していただけで改善につながるような内容は書かれていなかったようだ。期限に4人から出た改善案を見た専務が、

 

「僕が望んでいる改善案を書けているのはてつさんだけで後はみんな今の業務を書いているだけじゃないか。もう一歩進んだ案が聞きたいのだよ。てつさん、後でこの改善案について説明してくれないか」

 

と言うので私は1通り説明したら、翌年のシステム変更で仕入と売りのシステムは統合する方針らしい。会計ソフトはコストがかかることとファームバンキングは不正が起きるリスクがあるので採用されないことになった。運送コストの削減は郵便にこだわらず検討することになった。

 

 本社内で私は女性たちに翻弄され続けていた。口の悪い婆須は裏では誰の悪口でも平気で言う。そのくせ他の社員たちには陰口を言ってはいけないという。自己矛盾もはなはだしい。それから何かにつけて罰金5万円が口癖でちょっとミスをしたり、チェックをお願いするのに時間がオーバーしたりするたびに5万円と言う。もちろん本気で支払わせるつもりはないが、言われた側はかなりの心理的圧迫になる。私も次第に陰だけではなくみんながいるところでもお構いなしに叱責されるようになる。浜中が契約を更新しないと言った理由が何となく分かるようになって来た。

 

 8月上旬になると会議の準備で慌しくなる。資料のデータの作成を専務と2人で行う。この時は専務の指示で社長は呼ばなくてもいいと言う話だったが、声はかけておいたほうが良かったようだ。社長が会議の連絡もなく取り残されるような形になってしまうからである。私は専務の指示通り動いたのだがそのような状況の判断ができず、この後も苦労することになる。

 

 会議当日までに取引先には時短の案内をファクシミリで送らなければいけない。数百件一斉に送るのでかなり時間がかかる。業務時間内に送るとその間ファクシミリが使えなくなる。それでも指示通り送ることを最優先にしたので、口の悪い婆須には、

 

「サイボーグが仕事しているみたいだ」

 

と言われることになる。今後は業務終了後に一斉送信して翌朝に届いていない先だけに再送することで回避できることが分かったのでそのように処理をすることになる。

 

 会議当日になると資料作成などの準備を行う。資料は前回少し足りなかったので2部ほど多めに作成して数を確認して用意をした。この日の懇親会の司会は私がやることになった。乾杯の音頭と最後の締めの挨拶をお願いすることになった。乾杯の音頭は滋賀営業所の真弓課長、締めは京都営業所の新井リーダー(係長クラス)にお願いすることにした。

 

 夕方に会場に行くと婆須が押さえていた会場では椅子が少し足りない。無理を言って会場に用意してもらい、私は机のない椅子で話を聞くことになった。私は会議開始前に真弓課長に乾杯の音頭、新井リーダーに締めの挨拶をお願いした。この時は滋賀営業所が営業成績優秀で目標達成して報奨金をもらっていた。この時に入った新入社員の紹介をしてから講演を聞いて懇親会場に移る。私はもう司会のことで頭が一杯だった。
懇親会場にみんなを誘導しみんなが揃うと開会になる。私は緊張しながら、

 

「皆さん、本日はお疲れ様でした。講師の今岡先生もお忙しい中お越しいただき、有難うございました。それではまず専務挨拶をお願いします」

 

と言って専務が一言挨拶し終わると私は真弓課長に乾杯の音頭をお願いした。私にこの司会をさせるのもみんなに馴染ませる専務の1つの作戦だった。事前に頼んでいたのでスムーズに進んだ。乾杯の後はみんなで交流である。営業担当者や営業所の事務の女性と話をする。私の趣味に関することも聞かれたのでヤフーや楽天でオークションをやっていることを話した。もうみんな知っていたので別に話しても構わなかった。この時は和風居酒屋で飲み放題付きで1人5000円で美味しかったと好評だった。時間が来ると私が、

 

「それでは、皆さん。話は尽きないと思いますが時間になりましたので締めを新井リーダーお願いします」

 

と言うと新井リーダーも事前に声をかけていたのでスムーズに進み会議は無事終わった。

 

 これで2回目の会議は無事終わりました。いよいよ浜中の契約期間満了が近づいてきたので引継ぎも含めて私は慌しくなります。

 

 

 話はまだまだ続きます。