私生活を公にされている人たちに対して、貴賤をとわず、
この人たちは、幸せの芽を根こそぎつみとっていく。
この人たちの言い分をきいて、この人たちの意思に従って、
すべてを決めていたら、長い期間がたって、世の中、でたらめになってしまった。
君たちが、どういうふうに、していきたいのかは、もう読めた。
君たちの気持ちは痛いほどわかる。
なぜなら、この人たちを入れる器をどうにかするか、この人たちをどうにかするかしか、
この世界が順風満帆になることはないだろうから、わたしは、あえて、反対行動にでたりしない。
自身のくびを締める結末になるのに、この人たちは、君たちを尊敬しているというのもある。
気持ちはわかる。
だけど、いっしょに生活している普通の人としては、この人たち、かわいいところがあるだろう。
お互いに嫌ったり憎いと思ったとしても、
わたしは、そういう人でも、私の言葉が通じる相手なら、
一人でも、未来に幸せでいるような状態で、一人でも残していきたいと思っている。
わたしは、この人たちに、そういう気持ちを抱いている。
君たちの気持ちもわかる。
だから、そのまま続けていけばいい。
そうすれば、私の地獄の状況もなくなっていく。
でも、一人でも多く、残すつもりでいる。
午前中に 以前通っていた学校にいって 先生の話を聴きにいってきた。
今日の先生の話は、 つまるところ、 君の今の仕事を発展させるためには、
陰陽論を取り入れたほうがいいという話だったが、 陰陽論と今の仕事の発展を望むのと
どうつなげていけばいいのか、いまいちぴんと来ていない。
おいおい 仕事をしていくうちに 気づいていくのだろうから、 先の楽しみにしていきたい。
最近、ジェンダーフリーという話題になっているので、 きょうは、そちらのほうで、
先生の話を消化しておきたい。
天命にしたがうことが 性である というような話もでたが、
つまるところ、 天が動物の形にこの世に出現させたのなら、動物という性に従っていきるという。
人、また、男、女という形に、この世に出現させたのなら 男として生き、女として生きるということだろう。
その男として生きるというのは、 さいきんは、社会も変化して とらえどころのないものであるが、
形から その生き方を追求していけば、自然と、定まっていくんだろう。
性は 二元論という白黒を、二分させる考え方ではなく、 巴のようなお互いに浸食した分け方になる。
男という性ではあるが、女のような男もいる。 それを認めたうえで、男という性に従って生きる。
これが 二元論ではなく、陰陽論ということになる。
ジェンダーフリーという考えは、性そのものを否定せず、 男の中にも男の中の男もいれば
女のような男もいることを認め、
女の中にも女の中の女や、男のような女もいることを認める。
そういう天命を認めつつも多様性を受け入れる考え方にすれば、ジェンダーフリーという考えも
社会に害をもたらすことなく、目的を達することができるだろう。
生活保護受給者のことを否定する人がいたので、また改めてこの問題に考えています。
否定した人も、だいぶ人気のある人だったので、おそらく、それまで社会に多大な文化的貢献を
してきたんだと思います。
なので、あぁいう発言は嫌いですが、バランスをとって、どういう良いことを今まで社会に伝えてきたのか、
興味があり、ご当人の書籍を読んでみるつもりでいます。
さて、私は前々から生活保護というのは、社会復帰の余裕を与えるために、社会全体が支えてあげる
システムだと思っていますので、病気が治るまで応援したいですし、
貧乏から抜け出す準備ができて早く仕事をしたいと思ってもらえるように、社会もみてあげるべきだと
思っています。
生活保護は、おカネを支給したり、病気の治療費を出してあげたりしていますね。
問題は、いつまでも貰い続けられるだけもらい続けたり、莫大な金額になってしまうことだと思います。
二つの提案をしたいと思います。
提案といっても、わたしが、独裁者ならこうするという話なので、参考までに。
まず、カネではなく、現物支給。
メシはヨシケイで世帯の栄養を考えて、配達。
水やガスは全部免除。電気電話は、一定の額までは免除し、足が出た分は、働いたときに徐々に返してもらうよう、
債務とする。
そして、医療費ですが、これは生活保護に限った話ではなく、莫大な医療費をどうするかという
問題として考えます。
改めて言いますが、独裁者なら強行するという手段ですのであしからず。
まず医者の資格を二段階にします。
下位の診察医と上位の治療医にわけます。
多数の診察医には、診察と風薬や鎮痛剤や強壮剤に胃腸薬などの簡単な処方、
健康改善計画をたて指導する権限をあたえ、
なるべく入院をさせず高い薬を与えないほうが、継続してもうかるようにし、
かつ治療医に入院手術高額医療をしてもらうべきなのに、しない場合はペナルティを与えます。
一般の診察レベルで基準をもうけ平等に選別をする仕組みを整備します。
最後におまけで、酒やタバコは、社会復帰のための
何らかのアクションをしたら、恩賜のタバコを支給すればいいと思います。
タバコや酒は、こうやって使うのです。
働けない状況が続き、公的支援を受けていると、
働き始めると、支援が途切れ、すぐにまた働けなくなったときに、
かえって困るために、ニートを続ける人もいると思う。
なので、普通に考えたら、就職もせずに夢ばかり見てととれる
彼らの大言壮語は、実は、彼らにとっては非常に現実的な唯一の脱出方法かもしれない。
なので、実際には、大きな事業ではなく、小さい現実的な事業を継続して行う素地が
周囲、社会、その当人にあれば、多くの無業者が社会に貢献する国民になるだろう。
そこで、小さな現実的な事業とはどのようなものがあるのかを考えていきたい。
事業を始めるにあたっては、主に司法書士、行政書士に相談し、認可手続きや供託
または有資格者の独占領域だったりする場合もあるので、
必ず、相談をしてからスタートすることを強くおすすめする。
今回、そういった仕事を探すにあたっては、私は、「仕事 一覧 請負」で検索し、
地方のシルバー人材センターの請負仕事一覧をみて、参考にさせていただいた。
また、若年者無業者が、シルバーの領域を圧迫する可能性も考慮しながら、おいおい考えていく。
まず、
掲載されていた請負仕事一覧の中から
工業農業など身体を使った生活支援を選んで並べていく。
以下の生活支援業務の中には、スキルや技能をどこかで習得する必要のあるものが
多々ある。
たとえば植木の剪定などは、素人がやれば大きなクレームに発展したり、
本業の植木職人の仕事を奪うこともある。
そういったことも、あわせて考慮していきたい。
まず抜粋をする。抜粋元は松江市シルバー人材センターのホームページ。
植木の手入れ・施肥・消毒
・・・この作業は、シルバー人材センターで請け負うのと異なり、若年無業者層が開業する業務としては、
まずは植木職人のもとで修業をしのれん分けをしてもらう必要があると思う。(見解一)
樹木・果樹の消毒
・・・(見解一)
蜂の巣の駆除
襖・障子の張り替え
・・・この作業は襖張替業者などあるが、本来ご家庭で行われてきた家事作業の一つで、営業の自由の
視点からいっても開業しても問題ないと考える。ただ、この作業は、高齢者が大みそかには必ず
おこなっていた作業であり、高齢者にこうべをたれて教えを乞い、しっかりと教えてもらい、何度か
無償で経験をつむ必要はあると思う。(見解二)
網戸の張り替え(見解二)
簡易な大工工事
・・・(見解一)
左官工事・ブロック工事・壁塗り
・・・(見解一)
塗装工事
・・・(見解一)
刃物研ぎ(包丁・はさみ・鎌など)
・・・(見解一)追記だが、この刃物の研磨は通常の工場作業員が選抜して教えてもらえることもある。
簿記用語でいう間接工作業員など。
しめ飾り
・・・(見解二)
屋外清掃
・・・こういうのは小学校でもやることなので、根性入れてやればいいと思う。需要はある。高齢者や高齢寡婦
の家などは、若い人にきてやってもらえればと思っている節がある。(見解三)
屋内清掃
・・・(見解三)
刈払い(草刈り)
・・・(見解三)追記。不動産業者や空き地所有の企業など家庭だけではない需要がある。
除草・草取り・落ち葉掃除
(見解三)
伐採
農作業
・・・(見解一)
墓の掃除、水やり、花替え
宅内の掃除
・・・(見解三)
窓拭き
・・・(見解三)
網戸掃除
・・・(見解三)以下すべておなじ
室内の整理
庭の掃除
簡単な庭の草取り
電球・蛍光管の取り換え
暖房器具・扇風機の入れ替え
灯油の補給
家具類の移動
カーペットの敷き替え
植木鉢の移動
花の植え替え
水やり
これら上記のうち生活援助ということで単価を設定し請負、自営業者として小遣いをかせぐところから
始める。
もしウーバーいーつなどのような宅配の仕事が時給支払いで厚生年金加入者としての労働なら、
あれほどの人が集まって働き始める人もいなかったはずだ。
今回抜粋したのは、生活支援業務だが、
事務仕事もある。
簿記三級をもっていれば、仕分け記帳から精算表をつくってあげる
などの自営業支援を行うことはできるだろう。
目の悪くなった高齢者に、新聞読み聞かせという仕事もありえる。
ネタはいくらでもあるが、信用を得るためには、はったりではなく、無業者だった人たちが
どのように信用を得られるか。
やはり、自営業請負といっても、元請けをかってでる信用ある企業や人物は必要なのだろう。
それは、やはり、エリートが動いてもらわねばならない。
みんな気づいたことがあると思うが、
チンピラレベルから極悪人に限らず、一般人、場合によっては恋人や妻なども、
タイマンで付き合っていると、性根の良さを感じても、
そこに一人加わり三人集まり、社会を構成し利害関係が発生すると、
途端に性悪になるという。
思うに、宗教も精神科学も倫理も、今までの偉人たちは、一人の人を救う方法を考察するか、
社会の改善の方法を模索するか、いずれかしか答えを出していない。
なので、宗教から哲学まで、すべて現代では答えを出せないものと、みんなが判断し、
そこに英知が集まらない状況になって久しいと思う。
さて、そんな中でも、結局、みなが共通に持っている原則というのもあって、
結果がおこるものには必ず原因があるという因果応報原則や
すべて物も事も均衡を保とうとする力が働くという均衡原則、
そして常に物事の流れは、不変で過程をたどるととらえどころのない広い世界を感じている。
この最後は、規則正しい世界ならば、多くの人が人生や世界を簡単にコントロールできるのに、
そうした神のごとき人は滅多にいないことからもわかるだろう。
以上のことは、何度も最近ではここに記した。そのおさらいをもとに、
世界を住みやすくする術式について書いてみたい。
なお、わたしは呪術師で例えると、勉学の位置などから、3級術師に相当するが、
基本はおさえているんで、民の質の向上に資することはできると自負している。
いっとき、公の仕事に就く人が、友達を優先するとかして問題視されたが、
これは、その公人に対し、君は甘いよ、というべきだろう。
公共の場で忖度すれば、甘い。
だが、私事において、忖度するものにクレームを言えば、クレームを入れる人が甘いだろう。
そのことをみな、知っているが、みな、仕事に就いているが、仕事という公共の場にいても、
クレームを入れる人を甘いよと言ってしまう。
おそらく、民のほとんどは、公私の区別がついていない。
忖度とは逆に、好きでない人にできていることが、みなさんにはあるはずだ。
相手がこちらを好きだろうが、嫌いだろうが、変わらない対応をとるということはできるだろう。
なので、相手も、こちらが好きだろうが嫌いだろうが、変わらないという対応をとれば、
公共だけでなく私事でも平穏を保つことができる。
公人に求められるのは、民がさだめた基準になったらアクションする、その基準をみな平等に施すという
ことであるが、
さらに、相手の対応にあわせていけば、公人だけでなく、仕事をしていく民にとっても、
これほど円滑に歩める道はないだろう。
でだ。ここまでやって私たちの自力で世界をそれぞれ皆が変えることができるだろう。
ところが、これを皆がやれるような世界にしていったとしても、
アクションは人それぞれとなる。
そのアクション次第で、社会的な地位が変わってくる。
因果応報からはずれたアクションだったり、社会のバランスを崩すアクションだったりすれば、
社会的な地位は低くなっていく。
なので、相手に合わせるといっても、けして、意趣返しはしないようにしよう。
私も気を付ける。
わたしは、日々帰宅すると、礼にかなっていたか、とかこういうことを反省している。
環境問題を若い世代が危機感を持つのを見て共感を覚える。
人新生代に突入したと、マルクス経済学の正当な継承者を自認する先生の本を読んでみたが、
対策は、私は個人的にはエキセントリックに感じたが、そうするしか危機を抜ける方法はないと
本を書いた先生は強く主張する。
人ごときが、地球環境を破壊できるのかというむきも世間にはあるようで、
温暖化など地球の歴史では当然の流れとして何度もあるだろうという話を持ってくる。
だが、都会にいると、コンクリートやアスファルトでうめつくされ、建物からはあったかい空気が
ガンガン流れてくる。その熱を逃がさず吐き出し続ける都会と、
せっかくの海からの風が熱くなって北上していく北区や大宮、どんづまりの熊谷と
品川あたりを往復している生活をしている人にとっては、すぐわかるだろうが、
とにかく人間の活動が、暑い夏をさらに暑くしていることぐらい、身体で理解できるはずだ。
環境問題という大きなくくりで
今のやり方じゃ、とにかく住みにくいのは確かだ。
それが世界いたるところで、そういうことになっているのだから、地球の歴史、
天の時を人の勢いが加速させ、地の利を消耗していることぐらい、普通にわかるだろう。
さて、そういう身体に敏感な若いのが、歳くったとき、たまったもんじゃないと実感し、
騒ぐのは、普通の若者なら当然だろう。
だが、若者は実感できなくても、中年のオッサンたちは、もっと心配しなくてはならないことがある。
老後の生活だ。
老後、介護看護のお世話になっていくわけだが、ツイッターでは何度も書いたが、
介護看護の人たちを、わたしは全般的にやさしい気持ちを維持して仕事しているとは思っていない。
厳しく仕事しているというと聞こえはいいが、どうもストレスがたまっていると近くでみていて
感じているし、現場の人間の白状もあって
介護虐待のニュースは実際に、多発していることと思う。
こういう虐待は、仇をとってくれる家族がいて初めて明るみにでるのだろうが、
仇をうってくれない孤独な老人が増えていく将来を、オッサンおばさんたちは、どのくらい危機感を
持っているのだろう。
病床に入れば、事実を知っても自救することはできない。オッサンおばさんである
今なら、一人一人が、変えてくことができる。
仇をとってくれる家族がいても、虐待事件は、今日のニュースでもやったように起きているのだ。
みなさん、よく考えて、策をねり、はたらきかけたり、行動を起こしておこう。
後見人制度が推進されているが、たしょう後見人に払う金額を多くしても、彼らにやらせるべき
仕事もあるだろうし、
どのような安全策を制度として、整えておかなくてはならないか。その策をだれにすすめてもらうか。
みなさんで将来に備えていかなくてはならないだろう。
介護だけじゃない、看護もだから。 まちがいないですから。クソでしょう。
私も、失敗した経験があるが、
良い行いをさせなくする 悪魔というものに、 大人になると誰しもなると思う。
子供のころは、 これは悪いことだと思ったら、 すぐに正そうとするだろう。
だが、世界の裏を少しでも知るようになると、
ここで正義を行ったら、 裏では悲しむ人がいるんだとか、 考えてしまうようになる。
私の失敗例では、
猫がネズミを追いかけて食べようとしたところを、助けようとした子供を制止したこと。
世界は、食物連鎖などの秩序でできているが、世界を調和させる秩序や順序というものは
必ず存在するものだと思う。
人間社会は、利害関係が複雑になり、行動基準が求められる今は、人文系学問は、
順序や基準というものを解明して、うちら民に示し、小学校で仕込む必要もあると思う。
たとえば、
直接救済すべき対象と、救済により利害がからむため行為をするか否かで救済される間接救済。
こういう場合は、個人ならば直接救済の対象を優先すれば、犯罪も減る効果があったりすると思う。
このようなことを、哲学や法学から、子供に伝えやすいように書き換えて、子供に仕込む。
うちらは、情報を与えられてはいるが、道しるべをもたず困っているのだ。
借りを作りたくない人というのは、だれしもいる。
優越感にひたっていたいという。
贈答品などをもらったら、困るどころか頭にくるというくらいの人もいるかもしれない。
つまり、
借りをつくりたくないなら、できることは決まっているだろう。
その人から利益をうけないこと、その人に損を与えないこと。
神仏を超えたいのなら、神仏からの教えを拒否すること、神仏を謗らないこと。
その人から施しを受けないこと、その人に罰を与えないこと。
優越感に浸りたいなら、そのくらいのことをしないと、おのずから身分を下げる。
当時犯罪ではないことを、今犯罪だからと言って、過去の行いで刑務所に行けとは言わんだろう。
悪徳も同じですよ。
当時10パーセントの消費税でなかったのに、今10パーセントだから、当時の消費した分だけ
払えよとは、誰も言わんでしょう。
やる気もない男をみて、大きいだ小さいだと言ってたら、周囲はやりたいんだと読み取るでしょう。
はずかしい。
読解力理解力がなければ、短刀一本でかたをつける世界になるしかないんですよ。
この調子では、そういう世界になっていきますよ。