中国の古典が好きなので、 キングダムという漫画に目を通してきたが、

 

他の将軍の意図は先が読めるようになったが、カンキ将軍の意図は、

 

たいがい読めない。兵は鬼道なりを地でいってる。

 

人は、より良いものに成長するために生きているのかもしれないが、

 

人によっては極楽が一番成長するのに適している人もいれば、

 

修羅や畜生のような生き方が、その時には、一番より良いものになる機会をえるというのは

 

とても納得のいく筋である。

 

今の大河ドラマは江戸から明治に代る節目の時代をやっている。

 

この時代は、アジアはどこも変わらざるをえなかった時代の中にあって、

 

日本はうまく近代化をやれたというのは、日本人はみな知るところだと思う。

 

中国人は、当時は、愚かな自惚れがあり、数十年前でさえ

 

日本がより先進的な分野でも、教えてやるという気持ちがあったというのを

 

ドキュメンタリーなどでインタビューされている中国人の言葉のふしぶしから感じられた。

 

そういった下手な優越感を棄てたところに今の中国の急発展があると思う。

 

明治の初め頃、アジアの各地では、欧米の圧力があった中で、日本が変われた中で、

 

それができなかった国もあり、日本のようにしのいだ地域もある。

 

二つほど、要素があると思う。

 

身分などの秩序が維持されたかどうか。

 

もう一つ。

 

秩序が崩壊しても、その地域の一人一人が身を持ち崩さなかった。

 

普通、秩序が崩壊したら、上から下まで右往左往したり、それまでのうっぷんはらし、自信喪失が

 

起きるんで、身を修めていたかどうかがキーとなるし、

 

身を修めているという人は、今だけでなく、未来もコントロールをある程度見込める。

 

日本人である私自身に二つ、ここで質問しておこう。

 

愚かな自惚れがないか?

 

身を修め自分自身の今の心身をコントロールできているか?

 

身の修め方は、寺に行くなり、修行僧が何年なにをやって修行しているかを調べたり、

 

受験勉強でもすればいい。

 

私は、それ以上、書くことを控える。

 

芸を楽しむには学が修まっているのに比例した一定の量しか楽しめない、度が過ぎると芸は乱のもと。

 

それゆえ、漫画を中心に民に啓蒙するのはいかがであろうか。

好き嫌い関係なく、すべての事実を、同じ秤で比較してみる。南無阿弥陀仏。

事実をとらえるとき、因果関係を考察し、原因と結果が符合するか検討する。南無妙法蓮華経。

偶然というものを排除してしまうと、取り返しのつかないことになる。ああ無常。

偉い人の設計した社会で、その運用の中で働いて生きてて、

 

この星がダメになったら、偉い人は、別の星に行く計画をたてるという。

 

で、うちら民百姓は、どうなる?

 

連れて行ってもらっても、地球との連絡もでっち上げかもしれず、

 

万人の闘争状態から始めなくてはならないかもしれない。良くてだ。

 

人類は、この地球がダメになったら滅びればいい。

 

星の霊長としての責任をとって、最後まで地球にへばりついてればいい。

 

星を食いつぶして回る生き物を宇宙が受け入れると思いますか?

 

人口が増えたから、よその土地を分捕っていいという理屈が通りますか?

 

自分が何者かを忘れたらいけない。

 

環境がどうのと、何もできないなら、せめて、最後は霊長としての自覚を持ちましょう。

 

それが民百姓にできることです。

人に甘えたがるってのは、人生で人に甘えさせてもらった経験の少ないがために

 

そうなっている人も多くいると思う。

 

甘えだと非難するのも、考え物のこともあるだろう。

 

一方で、甘えを享受できない人生というのは、自業自得の場合も多いだろう。

 

だが、自業自得というのも、他を考慮する必要がなくなるので、

 

周囲にとっても本人にとっても、より簡単に処理しやすくなる知恵でもあるが、

 

すべてにとって都合が悪くなる考え方でもある。

 

世間の男は人並みであれば、最低一人の女に、徹底的に甘えさせてもらっている。

 

それを捨てたり甘えさせてもらったことのない男にとってみれば、

 

人生で最大の後悔となる。

 

そういうことから、本来、女は男一人を完全支配するのは、とても簡単なこと。

 

恋多き人生を謳歌するのもよいが、女は戦略の失敗を続けるのも如何なものだろうか。

太古の中国の書物には、

 

人口が増えれば富むが使える土地が減りまた人口が減っていく

 

人が増えるのは富む方向であり、

 

また、

 

開発余剰があれば富む方向である

 

という話だ。

 

今の日本はどうだろう。

 

人口が減っていく中でも、開発する自然の資源、ここでは土地は、どんどん減り、

 

人口も土地も、両者、衰亡の方向へと向かっている。

 

家を出て、土地を買い、家を建てて一人前という風潮は、ここから先は、

 

否定される観念だと思うべき。

 

世界の統治者は、ずっと観察していると、この現代社会をたたむ方向に向かっていると思わざるをえない。

 

いろいろと手をひろげて、もうけを得ていたが、支店を整理していくというのに似ている。

 

私たち民草は、無駄に分家せず、一族の資産を守り、

 

土地を購入しても、農園や果樹園にして、小作人に貸し出すという手合いのほうがいい。

 

アパートやマンション、駐車場にするのでは、貸し手・借り手・国にとってすべてが利益を得るとは限らない。

 

農園や果樹園ならば、三者得を得るので、国にとって利益は三倍増していくので、

 

国はそのような方向性で税制や規制、あるいは規制緩和を行うとよい。

日々、古典にふれていると、弁術の士という方たちが、縦横無尽に舌鋒鋭く

 

国の繁栄をはかり、和平を画策してきた苦労をうかがい知ることができる。

 

ほとんど、現代の私たちからみると、すべて無駄口をつくしているのだが、

 

弁術というものの基本は、無駄口であるなと感じる。

 

そこで、古典や日々の生活から気づいたことから、弁術というものを整理してみたい。

 

弁術には正の方向性と負の方向性がある。

 

戦国策という書物に出てくる弁術は負の方向性が多い。

 

負の方向性は、主に三つ。

 

謙遜・挑発・恫喝である。

 

このうち謙遜以外は、己側以外の他者を貶めるもの、あるいは、他者の士気を下げるものである。

 

逆に正の方向性は、

 

鼓舞や激励というものである。

 

基本となるのは、無駄口であるので、最たるものが、恫喝や激励であって、

 

無駄口の中にも正の方向性、負の方向性と、察しの良い日本人であれば、

 

その無駄口が、どちらの方向性のものなのかは、すぐ理解できるはずである。

 

さて、これらの無駄口の中で、仮に国内といった同一集団の中で、

 

行われているものであるのならば、

 

リーダーは、どのように対処すべきであろう。

 

無駄口を話すものの中にも、三者いて、士気をいつのまにか上げていく者、

 

自分の士気を謙遜によりあえて下げる者、自分以外の士気をつねにいつのまにか下げる者。

 

矯正が可能かどうかにもよるが…。

 

職場でFMラジオを流しているのは良い方向性ではないと、個人的には感じている。

 

また

 

わたしは、言葉を限りなく少なくするという僧侶のような考え方ではない。

むかしむかしは、王様や皇帝が、国の主権者であった。

 

下々の者たちは、主権者を敬い礼をもって接したり、こうべを垂れることを余儀なくされていた。

 

そういう下々の者たちの中で、または、すべてが上を仰ぎ見て、王様や皇帝は

 

かくあるべし、こうあってほしい、そういう思いと、こういう立派な方だからこそ君臨しているのだと

 

教育をされて、

 

理想の主権者の姿を、その時代ごとに、よくよく理解していた。

 

王様や皇帝が、自業自得で、その理想を体現できなくなると、天命が尽き、

 

理想を理解していた者の中、つまり、こうべを垂れて平伏していた者たちの中から

 

敬いの気持ちと礼をもって接せられる、王様や皇帝が輩出されてきた。

 

その理想を常にもっていた初代やその子供の代で滅びることは少ないが、

 

孫の代に分岐点があることが多く、七代や十五代、二十代と続く王朝もある。

 

不断の努力とは、おもうにこの理想を持ち続けることなんだろう。

 

 

私の子供たちに伝えたいのは、

 

簿記三級、ビジネス実務検定三級の取得は必須として目指し、

 

さらに、歴史、民法、刑法を学んでおくようにしてもらいたい。

 

このほかに、高校の政治経済の教科書を何度も繰り返し読み、地理の教科書も読むこと。

 

幾世代のちでも、私の血は消せない。 支配層が、献血で採血しても廃棄するなど、

 

けして明るみにしたくない秘密があるので、私は、とても卑怯なやり方で、君たちを残した。

 

君ら子孫は、必ず果報があるので、私の子孫であることを秘密にし続けるように。

徳川家は創業の当時、今川家から独立したばかりで

 

経験値の低い家臣が多かったが、有能な人材がそろっていた。

 

経験値が浅いと、企業でいうところの新規開拓営業や新事業立ち上げというものは、

 

困難だったろう。

 

なので、既存の顧客との売買や、資産の運用、信用増大、治安維持というもので

 

経験値を積んでいったはず。

 

その経験値もなく、上の階層の仕事を行うと、治安が乱れたり、元の木阿弥になったりすると思う。

 

経済発展は、後で、まずは、人心の掌握や治安維持というもので、個人と国の礎を固めていく。

 

そういうことをしていく中で、必要となったのは、

 

個の芸よりも学のほうで、儒教や仏教に傾倒する部分があったんだと思う。

 

覇権国家の傘の下で、その覇権国家だのみの時代は終わりつつある、今の日本の参考にすればいい。

はやき事、風のごとく。

静かなること、林のごとく。

攻め立てること、火のごとく。

動かざること、山のごとく。

 

生産効率を、上げたり下げたりすれば、この風林火山という戦略は実践できるだろ。

 

人の能力は、

統率力

機動力

開発力(営業などの開拓も含む)

企画力

魅力

の五つで判断すればいい。

この能力の中で、現代の組織は、あまりにも統率力を重視しすぎていて

その他の能力を劣後するものとみなし、人を切り捨てていると思う。

 

能力に応じた待遇をすれば、秩序ができる。

待遇とは、

カネ

名誉(権力)

仲間(家族)

を得ることである。

 

この三つで

統率力の低い人には名誉を与えられないのであれば、

その他で報いればいい。

 

日本は、世界中が乱世になっても、

それに飛び込んでいくだけの、力量はない。

 

上層階級は、自前でふんどしをつくる気概を忘れ、

下層階級は、命を惜しみ更に下の者たちに押し付ける。

 

そういう中で乱世を楽しもうと思っても、拡大することもなく、縮んでいくだろう。

 

さもなくば、マッチポンプで、上だけがうまみを獲るという方法もあるが、

民主主義の世界で、それを許すなど、未来過去の人たちの、よい笑いものとなるだろう。

 

もうすでに出現している進化した人間はいると思う。

 

男の中の男だ。

 

それは、避妊が全く無効の男。

 

できるかできないかは、女のその時の状態次第。

 

そういう男が増えれば、太古の貞節を守る世界が再びやってくるだろう。