環境問題を若い世代が危機感を持つのを見て共感を覚える。

 

人新生代に突入したと、マルクス経済学の正当な継承者を自認する先生の本を読んでみたが、

 

対策は、私は個人的にはエキセントリックに感じたが、そうするしか危機を抜ける方法はないと

 

本を書いた先生は強く主張する。

 

人ごときが、地球環境を破壊できるのかというむきも世間にはあるようで、

 

温暖化など地球の歴史では当然の流れとして何度もあるだろうという話を持ってくる。

 

だが、都会にいると、コンクリートやアスファルトでうめつくされ、建物からはあったかい空気が

 

ガンガン流れてくる。その熱を逃がさず吐き出し続ける都会と、

 

せっかくの海からの風が熱くなって北上していく北区や大宮、どんづまりの熊谷と

 

品川あたりを往復している生活をしている人にとっては、すぐわかるだろうが、

 

とにかく人間の活動が、暑い夏をさらに暑くしていることぐらい、身体で理解できるはずだ。

 

環境問題という大きなくくりで

今のやり方じゃ、とにかく住みにくいのは確かだ。

 

それが世界いたるところで、そういうことになっているのだから、地球の歴史、

 

天の時を人の勢いが加速させ、地の利を消耗していることぐらい、普通にわかるだろう。

 

さて、そういう身体に敏感な若いのが、歳くったとき、たまったもんじゃないと実感し、

 

騒ぐのは、普通の若者なら当然だろう。

 

だが、若者は実感できなくても、中年のオッサンたちは、もっと心配しなくてはならないことがある。

 

老後の生活だ。

 

老後、介護看護のお世話になっていくわけだが、ツイッターでは何度も書いたが、

 

介護看護の人たちを、わたしは全般的にやさしい気持ちを維持して仕事しているとは思っていない。

 

厳しく仕事しているというと聞こえはいいが、どうもストレスがたまっていると近くでみていて

 

感じているし、現場の人間の白状もあって

 

介護虐待のニュースは実際に、多発していることと思う。

 

こういう虐待は、仇をとってくれる家族がいて初めて明るみにでるのだろうが、

 

仇をうってくれない孤独な老人が増えていく将来を、オッサンおばさんたちは、どのくらい危機感を

 

持っているのだろう。

 

病床に入れば、事実を知っても自救することはできない。オッサンおばさんである

 

今なら、一人一人が、変えてくことができる。

 

仇をとってくれる家族がいても、虐待事件は、今日のニュースでもやったように起きているのだ。

 

みなさん、よく考えて、策をねり、はたらきかけたり、行動を起こしておこう。

 

後見人制度が推進されているが、たしょう後見人に払う金額を多くしても、彼らにやらせるべき

 

仕事もあるだろうし、

 

どのような安全策を制度として、整えておかなくてはならないか。その策をだれにすすめてもらうか。

 

みなさんで将来に備えていかなくてはならないだろう。

 

介護だけじゃない、看護もだから。 まちがいないですから。クソでしょう。