ちょうど10年前のブログ記事で、1983年7月13日に、当時の国鉄七尾線を踏破した記録を綴っています。
そのときは大学生で、所属する地理学科の研究・調査旅行(業界?用語で「巡検」という)で、佐渡島に行った帰り。
前日、船で直江津まで渡り、そこから柏崎まで信越線を利用。
そして宿泊先の最寄り駅、鯨波から能登方面へ向かったのです。

県境をふたつ越え、いったん金沢まで行き、戻るように七尾線の終点、輪島行きの急行へ。
天気は上々だけど、思ったより海は見えず。
穴水より先は、この先に本当に港町があるの?と思ってしまいそうなくらいの山里を走り、金沢から2時間半かかって、ようやく輪島に着きました。

泊まったユースホステルでのミーティングでは観光案内が行われましたが、真っ先に言われたのは、「能登の観光は、半島の外側をまわる方が面白い」ということ。
内側をまわる(イコール、能登線に乗る)私は「へそ曲がり」と言われてしまいました。
さすがに、乗りつぶしのことは黙っていましたけどね。

それでも、輪島に来たならせめて朝市は見なくちゃと思い、観光案内に耳を傾けていましたら、朝市は8時から開始とのこと。
もっと早く、5~6時くらいから始まるんじゃないかと、そのときまで思ってました。
能登線を往復するために、翌朝7時半前に出発する計画を立てていた私は、せっかくの朝市を見るチャンスを逃してしまったのです。

翌日。
行商のおばさんたちとすれ違いながら駅に向かい列車に乗り、穴水から今度は蛸島行きに。
穴水-蛸島間は普通列車で2時間強。
復路、蛸島からは(途中で同じ列車が急行「能登路」に変わる)、金沢まで約4時間。
ただ列車に乗るだけでしたが、まさしく半日がかりの能登めぐりとなりました。

しかし、当日はすこぶる好天に恵まれ、また当時のローカル線の普通列車では珍しく「冷房車」に当たったりしたのですが、期待が大きすぎたかなという感は拭えませんでした。
穏やかな海原が目を楽しませてくれる箇所もありますが、やはりユースホステルのスタッフに従い、半島の外側をまわった方がよかったかなと、ちょっぴり後悔もしました。

後年、能登半島を観光で訪れる機会に恵まれ、輪島の朝市を見ることができたほか、外側の海岸線の絶景を堪能し、内側の九十九湾に面した旅館ではおいしい海の幸に舌鼓を打ち大満足、という経験もしたのですが、そのときに使った交通機関は一貫して団体旅行用のバス。
大学時代に乗った七尾線や能登線は利用することがないまま、やがて一部がのと鉄道に転換され、さらに穴水より先は、鉄道で行くことが不可能になってしまいました。
長くペーパードライバーで、現在は運転免許証も持っていない自分にとって、能登半島は、ひとり旅をするにはハードルの高い場所と化してしまったのです。

能登半島地震の報道で、七尾線や能登線にあった駅名と同じ地名を耳にするにつけ、当時のことを思い出したりします。
「北陸応援割」なる企画も発表され、私も機会があれば、利用しようかなとも思っています。
かなり詳細に能登半島の観光案内が書かれた旅行雑誌も読んだことがあり、いつかはきっと、かの地をじっくり巡ってみようとも考えているのです。
同一のルートに従い大勢で移動する団体バス旅行は自分にはなじまないし、かといって、タクシーを貸しきりで利用するのもなんだか気が引ける。
でもあらためて昨年発行された時刻表を開いてみると、能登半島には思っていたよりも多くのバス路線が残っており、工夫すれば昔ながらの路線バスによる旅も、なんとか楽しめそうではないですか。

地方のローカルバスは、大なり小なり路線の維持に苦労を抱えているようです。
今回のように大災害が起こってはなおさらでしょう。
それでも、いつしかバス路線がひとつでも多く復旧を遂げ、車を運転しない人でも自分なりに計画を立て、自分のペースで観光が楽しめる場所になってほしい。
能登半島に限らず、そう願っています。