わたしは平成26年(2014年)以来夏も冬もエアコンを使わないノーエアコン生活を12年続けています。


きっかけは赤道直下のアフリカに行って、この暑さなのにエアコンもないなんて無理と思ったのですが、1か月いるとなんとか耐えられたので、日本でもできるかと思って興味本位に始めました。


おりしもその3年前に福島原発が爆発して、日本中の原発が停止し、電力不足が叫ばれる中、節電が無意識下に刷り込まれた影響もあるでしょう。


※ただし東日本と西日本は静岡県を境に周波数が違い西日本で節電しても東日本に持っていけないし、原発が全部止まっても電力が十分足りるのはこの15年が証明されている、なので原発を止めたいための家庭の節電は本質ではない


名古屋の家にはエアコンはあったのですがプラグを抜きました。

幸い一つの部屋に2方向の窓があり、5階だったため風の通りがよく夜中も網戸で窓を開け放しにできたことも実現可能だったと思います。


扇風機は使います。

寝ている時は、微風にしてずっと身体に当てます。


最初はただでさえ不眠症なのに寝苦しいし、朝も暑さとともに始まるのでしんどかったのですが、ある強烈なメリットに気がつきました。


その頃、インドアの仕事をクビになり真夏の炎天下、外で肉体労働をしていたのですが、まわりの作業員はバテてへとへとなのに自分だけは平気だったのです。


断っておきますが、わたしは小学生の頃、虚弱児かというくらい身体が弱く冬は凍傷で体育を見学、夏は夏バテでご飯も食べずただ寝転がっているような子で、外で遊ぶのが嫌いな子でした。


大人になってからも、肉体労働や外仕事を回避して生きてきました

力仕事になると隠れて見えなくなる存在だったのです。


それが、ノーエアコンが契機となって、夏の外の暑さが平気になり、それが自信となって力仕事を続けると、重い物を持つということは、筋力をつけないと無理だと思っていたのが、重心を捉えて腰を入れたりして自分の重心と合わせれば楽に重い物を持てるという真実に気がつき、何故誰も教えてくれなかったのだろう、体育の授業も馬鹿の一つ覚えでスポーツばかりやっていないで、こういうことを教えるべきだと思いました。


そして、この時点で睡眠薬を含む20年間飲んできた向精神薬を全てやめることができました。

身体を動かし汗をかくことによるデトックス効果と、注意を危険に集中することがよかったのだと思います。

実は精神薬の本当の危険や精神医学のおかしさに気がつくのはその後なんです。


さらに、食生活を菜食に切り替えたことで、集中力と持久力がつき、ノーエアコンによる暑さやダルさを感じない身体とあいまって、肉体労働がへっちゃらになりました


※肉を食えば体力がつくというのは嘘、明治時代、飛脚に肉を食べさせたら半分の力も出なくなった実験や、アイヌの猟師は猟の時は菜食など、多くの事例から実証されている


わたしは肉体労働にトラウマがあって、引越しの仕事やディズニーオンアイスの氷の搬出であまりの体力の無さに怒られて、そういう仕事を忌避していたのですが、便利屋の仕事を経てある程度自信がついたので、その仕事に入りなおしてみたら、あら不思議、余裕でこなせて、「君の動きは素晴らしい」とお褒めの言葉までいただいたので、トラウマ解消、屋外作業、肉体労働、体力勝負の仕事に全く抵抗が無くなりました。


わたしが、何を言いたいかというと、多くの人間を観察していると、食事は美味しいもの、生活は楽で快適なものを追求していて、それが原因で病気になったり、生きる力が弱くなっているので、全く違う価値観があってもいいのかなと。


つまり、食や快楽に価値を置くのではなく、身体の軽さ、楽さ、丈夫さに価値が置かれ、そっちを大切にする価値観がもっとあってもいいのかなと思います。


わたしが食事制限やノーエアコン生活などを話すと「やせ我慢」とか「もっと人生を楽しみなさい」と言われますが、わたしはそれよりも自身の身体的に劣った部分をカバーし人並みに追いつくために、楽に仕事ができたり、動きのパフォーマンスに無限の喜びを感じるので、そっちを優先したいという気持ちが強いです。


むしろ、ヴィーガンやノーエアコンは本心を言うと快楽でしかなく、一度型を覚えるともうやめられないくらい生活が楽なんです。


もちろん、こういう生き方や価値観を押し付けるわけではありませんが、実践する人が増えれば、多様性も生まれるし、本質に気がついて、多くの人が自信を持って生きられるのではないかと思っています。


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北中米W杯がスペインの優勝で閉幕した。スペインはこれで実に38戦無敗。最後に敗れたのが4年前のカタールW杯日本戦だった。


この日本戦も「三笘の1mm」と呼ばれるVARによってぎりぎりゴールが認められた非常に惜しい負け方だった。


ちなみにこのゴールは今回残念ながら怪我で出場できなかった三笘薫選手がタッチラインぎりぎりで折り返し田中碧選手がゴールを決めたもので、2人とも川崎市で育ち、精神医学の嘘や悪行を告発することで有名な小倉謙さんが経営する、さぎぬまスイミングスクールの生徒だったことから、わたしはこの2人を精神医学破壊💥ホットライン、このゴールを精神医学撲滅ゴールと呼んでいる。


話がそれた。

今回日本はR32でブラジルに敗れあっけないW杯だったが、4年前互角だった両者がどうしてこうも違っちゃったのだろう。スペインは2回目の優勝である。


わたしは何回も繰り返しているが、日本が報道によってわざとサッカー人気が下げられ、国民全体の盛り上がりが生まれないようにさせられているからの一点にあると思う。


わたしはひいき目を離しても今の日本代表は優勝できるだけのポテンシャルはあると思う。実際スペイン以外にもドイツ、イングランド、ブラジルといった競合国を破っている。今回は怪我人が多く選手層が薄くなったことが大きな敗因だが、監督の戦術はさておいても個で劣っていてもチーム連携は世界一とも言われていて、選手だけ見れば優勝してもおかしくない戦力だと思っている。


では、何が違うのか?


国民の熱狂度だ


日本は野球が一番人気のスポーツで選手の年棒も高い、二番目はサッカーだが、観客動員数は野球の半分くらい、年棒はJ1のごく一部の選手は高いものの、野球ほど貰えず、J2J3の選手はそれだけでは生計が成り立たないほどだ。


しかし、観客動員数、年棒とも野球に次ぐナンバー2の位置を何十年も維持しているにも関わらずにも関わらず、テレビや新聞などマスコミの扱いが酷いのだ。まずテレビでJリーグや海外リーグの放映をやらない。野球は毎日ゴールデンタイムに放映しているのに。


そしてスポーツ新聞も野球は練習だけで一面カラーなのに、Jリーグは5、6面に白黒、海外リーグに至ってはベタ記事、Jリーグで優勝しても裏面カラーがやっと、ある年など中面白黒の年もあった。


もっとも、スポーツ紙がこうなったのは最近のことであり、中田英寿、本田圭佑、香川真司が活躍していた頃はトップカラーだった。

日本が初めてW杯出場を決めた28年前のジョホールバルの歓喜の時など、その後1ヶ月にわたって「中田」という見出しのもと一面カラーでサッカーが扱われたのをこの目で覚えている。


日本のマスコミがなぜサッカーを放映せず、報道しないのか?

真の理由はわからないが、日本のマスコミは今でもCIAの工作員だった正力松太郎・渡邉恒雄のラインの影響力が大きく、野球というものが日本人を支配するのに丁度よく、サッカーはいろいろと考えて頭がいい人が増えてしまうためだという意見がある。


一時期は全小学生のなりたい職業の1位になったサッカー選手もその後、野球選手に追い抜かれた。世界のどの国でも行われていてビッグマネーが動いているサッカーに対し野球はアメリカ、韓国、台湾、キューバなどわずか数カ国でしか行われておらず、世界的にはクリケットよりもマイナーだ。やはり日本人を目覚めさせない政策の一環ではないかと思っている。


日本が経済的に豊かでハングリー精神がなく、他にも高給な職業があるからというのも昔の話、この30年間経済は停滞し貧困化が進み、日本でもサッカー選手になるくらいしか家族を救えないという風潮が子どもや若者に増えてきた。事実、鈴木彩艶など外国にルーツがある選手も爆像している。


そして、日本はブラジル、アルゼンチンに次ぐサッカー選手輸出国にもなっていて、日本代表のほとんどがヨーロッパ一部リーグ所属の選手、それ以外にも無数の選手が全世界でプレーしていて、Jリーグも経由せず、高卒で代理人も付けず欧州でプレーしている若者も多い。


だから、競争とハングリー精神は以前にもまして苛烈になっている。だからJリーグも年々レベルアップし、欧州一部の選手もスタメンも増え、日本代表も比例して強くなっている。にも関わらず、マスコミのサッカー報道、代表報道が弱体化しているのだ。


マスコミで報道されなければ存在や事実を知ることができない。女性や高齢者など人口の裾野が広がらなければうねりを作り出すことができない。新型コロナワクチンの害も、農薬や肥料の害も、抗がん剤や精神薬の害もマスコミが絶対に報道しないから(製薬会社が最大のスポンサーだから)、わたしがどんなに訴えても多くの人は問題があることすら知らない。マスコミの力は大きく、まだネットやSNSの比ではない。そこが意図的に報道をコントロールされているのだ。


もう一つ

今回日本と大切したブラジルは日本戦の日学校を休みにした。前回のW杯グループリーグ第2戦で日本はコスタリカに「まさかの」敗北をしたが、コスタリカの大統領は日本に勝ったら学校・会社を休みにすると言っていて実際にそうした。どうだろう、この差だ。日本政府は代表が優勝しても翌日休みにしないだろう。白けて国民全員のうねりを作り出せない。


1994年のアメリカW杯でコロンビア代表の選手がオウンゴールをしたということで、帰国後マフィアに殺害された。あってはならないことだが、日本には熱狂がないからこの緊張感もない。一番近かったのが28年前のW杯初出場を決めたジョホールバルの歓喜、この時勝ったからよかったが、負けたら日本に帰れないと家族に言ったと当時の岡田武史監督が証言している。今はその緊張感もなく、早々に負けて帰国しても成田空港で「感動をありがとう」とファンが温かく出迎えるまでになっている。強くなれるはずもない。


実は24年前、日韓W杯の直前、わたしはスペインに留学していた。当時はスペインがサッカーが強いとはほとんどの日本人は思っていなくて、現地での異常なまでのサッカーに対する熱狂にびっくりし同僚の日本人が「サッカーってブラジルは強くて熱狂的だと知っていたけど、スペインもこうだとは知らなかった」と言っていて、わたしも同感だった。


何しろ家族の会話が試合翌日の月曜日から日曜日まで、ずーーーーっとサッカーの話題だけ、子どものスポーツはサッカー一択、おじいさんやおばあさんまで地元のチームに熱狂するくらいサッカーキチガイの国だったのだ。例えるなら、日本のアニメブームを100倍くらいにした感じ、国民全体がこうなのだから必然と代表チームに対する期待は大きくなっていく。


その8年後、スペインはW杯で初優勝した。国民の熱狂が優勝への必須要件だとこの時確信した。


スペインにいた時に、バルセロナのカンプノウを一周したことがある。中に入れなかったので周りを散歩した。あまりの巨大さと歴史の重みをピッチ以上に感じた。またレアル・マドリーの本拠地サンチャゴ・ベルナベウでも試合を観たことがある。100年以上の歴史の重みを感じた。


日本はプロサッカーの歴史が欧州に比べたら確かに浅い。しかしJリーグができて34年経つ。ドイツもブンデスリーガは戦後できて歴史が浅いが10年ほどで代表が優勝している。やはり長い歴史よりも国民の熱狂度ではないか?


スペインの地方のクラブの試合も観たことがある。確かセビージャだったと思うが、スタジアムはいつも超満員、観客の歓声で相手チームのゴールキーパーがキックミスったをするのを見て、ここまで成熟しないと日本は追いつけないと感じた。


世論や世相はマスコミによって創り出される。


それはサッカーでも政治でも市民運動でも同じだ。サッカーは国民の娯楽に過ぎないのでどうでもいいかもしれない。政治もいまやもはや政治で世の中は変わるとはとても思えないのでどうでもいい。しかし、香害やメガソーラー、ワクチンや精神薬の害や外国人移民の問題、諸外国より遅れている動物の権利などマスコミがはっきり取り上げないから、対策が進まないという社会問題も、日本代表が優勝どころかいつも決勝トーナメントで敗退するという問題と同根である。


マスコミが世論形成をほぼ創り出すという構造がある限り何も変わらない。

本書の著者は、福岡正信氏や木村秋則氏に感化されて自然栽培を追求してきたというよりも、海外で地球環境保護運動に参加し、日本で温暖化ガスを出さない冬期湛水という稲作の手法に興味を持ち、冬期湛水の第一人者、岩澤信夫氏に学びながら独自に追求して稲の多年草栽培に成功し、何もしない農という福岡正信氏が到達した心境に結果的に到達した驚愕な書である。


ここで何が言いたいかというと、自然農法の四原則には

・無農薬

・無肥料

・不除草

・不耕起

があるが


これがそのまま水田にも当てはまり、人為的なことは何もしないことが正解という自然農の哲学を別ルートで示したということで、自然農法のビジョン的方向性

・自然循環の中の生

・地球環境を回復させ健全化する

・低生産低消費の無理のない生き方

・農業という営みからも自由になる無為自然という価値観・死生観


がより強固になった印象を持った。


すなわち入り口は人それぞれでも、このような農業を実践することで、さまざまな気づきが得られ、人間とは何か? 大宇宙の真理とは何か?という共通した認識が得られるのではないかということが感じられた。


話を稲の多年草化に戻そう。


わたしは最初全く興味がなかったのだが、昨年の11月に徳島県を歩いている時、温暖化の影響かまだ暑さすら感じる陽気の中、どの田んぼも刈り取られた稲から稲穂がまた実っている景色を目にした。もしかしたら温暖化が良い方へ影響して日本でも二期作が容易に可能なのではないかと、指導を受けている自然栽培農家に投げかけてみたら、できるとの返事だった。


さらに、そこを歩いていると、そのあたりがコウノトリの生息地だということがわかった。一帯を無農薬栽培の地帯としコウノトリが安心して子育てができるよう地域ぐるみで取り組んでいたのだ。


わたしは無農薬・無肥料の野菜販売という仕事をしていたのだが、誰からも「この仕事は素晴らしい」「将来必ず需要が出てくるから頑張れ」と言われ続け、自分でも栽培を実践しながら12年間続けたが、全く需要は横ばいで増えることはなかった。


日本の農地のうち無農薬なのはわずか0.9% わたしが始めた12年前が0.7% ほとんど変わっていない。


やってきた中で感じたことは、地球環境に優しいとか、身体によい、農薬と発達障害の関連性のグラフを見せても、人口の1%ほどの人しか反応せず、多くの人は無関心。


理由は価格が高いせいもあるが、マスコミや教育で無農薬ということが言ってはいけないタブーだからだ。田舎だと事態はもっと深刻で、ほぼ99%の農家が農薬、化学肥料、除草剤を無意識レベルで使っているので、無農薬を叫ぶと「宗教でも入ったのか?」「共産主義か?」という勢いで睨まれ分断が生まれ村八分状態になる。


嘘だと思うのなら各自調べてほしい。


日本で安心して堂々と無農薬栽培をするのは不可能だと思った時に現れたのがコウノトリだった。徳島のその地帯に見たこともないような大きな鳥が優雅に飛んでいてとても感動した。動画にも撮ったが逆光で色が判別できずもしかしたらアオサギの可能性もあるが、落ちていた真っ白の大きな羽からしてもコウノトリだと信じたい。


そういえば石川県羽咋市でも自然栽培の田んぼの地帯を作ったら44年ぶりにトキが舞い降りたというエピソードを思い出した。


ここ徳島の真北には絶滅したコウノトリを野生状態で復活させた兵庫県豊岡市という奇跡の街がある。


地球環境保護や、食による健康をいくら言っても響かないが、動物愛護なら響くかもしれない。トキやコウノトリが来るような農業や生活をしませんか?と言えばみんな協力するかもしれない。そんな動機でも結果的に無農薬栽培の田畑が増えるのなら、そこから人の意識が変わっていくかもしれない。


そう思っている時に西宮で、各地で過剰な報道によって殺処分されるクマを護るビーガン・フェスティバルがあったので行ってきた。会場でこの本の写真がパネル展示されていたので、直感的にキターと思い写メを撮った。


家へ帰ってAmazonで買おうとしたが入荷の目処が立たないとあって、5,000円近い値段で中古販売されていたのでちょっとキツいなと思い、楽天で探したら中古でも定価近い値段であったのでそっちで取り寄せて一気に読んだ。


※Amazonさん、ガンガン宣伝するので是非在庫をストックするように頑張ってください。


本書の内容を簡潔に説明すると


稲は一年草という認識のもと、育苗、田おこし、しろかき、田植え、何回もの除草(無農薬栽培の場合)、稲刈りからコンバインで精米まで持っていくということが機械化され、手作業なら辛い作業となっているが、


1年目丈夫な稲を作って、冬期湛水(稲刈り後、水を抜かず水を張りっぱなしにすること)するだけで、2年目以降は上記の作業が全て不要となり、放っておくだけで稲がどんどん収穫できるという。


稲を先祖返りさせるので、移植が必要だったり、ある程度温暖な所で、品種も限られるという条件もあるが、うまくいくと水張りっぱなしで穂を刈るだけでいい。全体の収穫も見劣りしない、味も大変にいいという結果が得られる。


冬期湛水は、冬水田んぼとも呼ばれ、自然栽培米中でも最上位に位置し最高値で販売されることや、このお米で長年の疾患が治ったお客さんを思い出した。


何もしなくてどんどん実るというのは福岡正信さんの言う、昼寝ができ、女こどもでもできる農に通じる部分があり、米麦二毛作以来の快挙の気がした。


何もしない稲のほったらかし栽培。

これが地球環境の究極的解決であり、稲作の家庭菜園化、奴隷的農業の解体、誰もが虫や鳥さえ喜ぶ農に思えるのだがいかがだろうか?


最後にコウノトリと、小川さんの言う稲の多年草化栽培との関係を述べて〆ようと思う。


稲の多年草化には冬期湛水が必須であり、丈夫な稲であるためにも無農薬というのも必須である。水が張っているから耕すこともできないし、逆に雑草も生えないので除草作業もない。


実は別の本でコウノトリ生息の条件に無農薬もさることながら冬も水溜りの生き物を食べるので、ずっと水が張っていることも条件なのだという(徳島では稲よりもレンコン田でそれをやっていたし、豊岡では池や沼地を用意していた)


稲の冬期湛水化が常識化すれば、必ずコウノトリやトキが戻ってくる。


本書はそのための「農業」からのアプローチであり、科学的側面が記載されている。


稲の多年草化栽培は小規模のほうがやりやすく、集合住宅のベランダのバケツ栽培でも可能だと思うので是非多くの人が本書を入手して実践していただきたい。


これ以上の環境保全は存在しない。そう言い切れるだけの魅力が本書には存在する。




2013年〜2025年まで12年間無農薬野菜の流通・販売を手掛けてきましたが

結論から言うと、農家の数もお客さんも売上も認知度も全く増えませんでした

日本における無農薬で作物を作っている農家の割合は0.7%から12年で0.9%になっただけです

最大の要因は代替医療や非国政政党やワクチンの害と同じくマスメディアが放送禁止のように無農薬栽培を全く取り上げない、報道させないので、一般大衆が知り得ようが無いというのが原因です

そこに日本人全体の所得低下とコロナによる自粛経済、物価高が追い打ちをかけ、欲しい人がいたとしても経済的に苦しくて買えないという人々がたくさんいるのも感じました

そこで、
自然農法=自然農=自然栽培
の絶対数を増やし地球環境を真に護り回復・浄化していくために
やり方を変えます

①専業農家でなく、家庭菜園レベルのちいさな無肥料栽培を増やしていく

②慣行栽培の農家さんも巻き込んで、コウノトリやトキに飛来してもらうために、その一帯を
無農薬→無肥料→冬期湛水
と先祖返りさせることによって
結果的に自然栽培を実現させる

①は名古屋で無農薬・無肥料野菜の流通・販売をしていた頃から思っていたことで、供給は増えても需要が伸びないのなら、供給調節がしやすい家庭菜園で自然農をする人口を増やし、たくさん作って余った野菜を農家と同じ価格で買い取って都会などのピンポイントなニーズに販売する

最初は家庭菜園レベルでも、余ったものがお金になるとやる気も増し、結果的に無肥料農家が増えるのではないか?と思っている

※有機もそうだが、無肥料栽培を生業としてやるには、ある程度の土地と機械、手間と販売先が必要で体得するまでに数年はかかるのでかなりのハードルを感じていた

②は専業農家、建業農家など機械も導入しかなりの面積をやっている田んぼが対象で、一帯を無農薬・無肥料化することで図鑑にしか載っていなかった魚や昆虫、水性生物が帰ってくることによって

サギ→ツル→コウノトリ→トキ

の順に日本に昔からいた大型鳥類が棲み着くようになる

多くの人は動物好きで、希少動物には眼がなく、トキやコウノトリやタンチョウヅルが観られるのならと無農薬に興味がない人や農家さんでも一生懸命になること間違いない

そこから、動物愛護→動物解放、無農薬など食の安全、生態系保護による真の環境保全に興味を持ってもらうことができる

※後者を先に、手段として有機栽培や自然栽培を講じてきたが一般には全く浸透しなかった

この発想は昨年、徳島県の田舎を歩いていた時に天から降ってきた

徳島県は全国でも最も過疎化が深刻な所で、JRの本線が一日に数本しかないくらいの事態になっていた
駅を探すために田んぼ地帯を歩いていたら、11月に刈り取った稲の株から新しい茎葉が伸びて稲穂までつけていた
摂って皮を剥いて食べたら小さくて美味しくはないが、もっと工夫すれば秋に2回収穫でき二毛作が可能ではないか(東南アジアや中国南部では行われているが、近年の温暖化を逆手に取れば稲の二毛作は日本でも可能ではないか?)

さらに歩き続けていたら鉄塔の上にマンガみたいな鳥の巣があり、Google Mapで調べたらコウノトリの飛来地とあり、一帯が地区ぐるみでコウノトリの飛来を復活させた地区だとわかった
鉄塔の鳥の巣も地元の建築会社の社長さんがなんとかコウノトリを復活させようと自費で作ったもので行政主導ではない
熱い社長さんの想いを社員の人は全員支持しているという

日本では表向きに無農薬ということは言えないので公的な表記はないが、その一帯の小川を見ると魚がたくさんいたこと(慣行栽培の田んぼには魚は居ない)、子どもの書いたポスターに「むのうやくの田んぼ」とあったので、この一帯はそうだと確信した

このような無農薬・無肥料の水田の面積をある程度の面積確保し、巣になりそうなものを整備すればいなくなった大型鳥類は戻って来るのではないか?

文字数制限でここまで
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本書は中学2年生の時から手のひらサイズの「おじさん」(人によっては別の姿で見えるらしい)が見える著者が、おじさんとの交流やおじさんから教わったことが包み隠さず書かれている。


本書はスピリチュアルにカテゴライズされると思うが、他のスピ本と比べて本書にしかない魅力は


①男性、とくに会社組織に所属する堅い人間の視点で書かれているのが新鮮


②著書の本業は編集者でもあり、非常に読みやすく、デザインなど女性も抵抗ないような体裁となっている


③著者は精神世界の本の編集も多数手掛けており、その手の著名な作家も多数知っているので、それを踏まえての本作なので、非常に言わんとしていることのクオリティが高い


ことだと思った。


一点残念なのは前半は、小さいおじさんのような超常現象について、その存在性を説明し過ぎていて、そういう存在に慣れている人にとってはもどかしかった。第2弾も出ていて、そちらはそんなことはないだろうが。


なので、わたしもそう思っているのだが、本書よりも最近スピ系のYouTubeにも頻繁に出演するようになった瀬知さんのお話のほうが、実は説得力があったりする。

「小さいおじさん」というキーワードで検索すればたくさん出てくる。どれを見ても当たり。


というと本の宣伝にならないので、本書に戻ると、後半は小さいおじさんからの教えがリアルに立て続けに書かれていて、その内容が他のスピ本にない教えだったりするからとても新鮮。


優しい包むような高次元からのメッセージのような語り口ではなく、おじさんの命令調のメッセージ(本人のキャラクターが反映するそうです)なので、それがたまらなく魅力的だ。


ふと思ったのだが、この瀬知さんと小さいおじさんのやり取り、何かに似ているなと思ったら、ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじとのやり取りとそっくりだ。サイズ感も。

人によって違う姿で現れるらしい。


そして圧巻だったのはラスト。おじさんの話は、処世術や人生訓にとどまらず、宇宙の仕組み、あの世の仕組み、違う次元の存在にまで及ぶ。


小さいおじさんの特徴として、「殺す」という概念を徹底的に否定する。自殺も駄目、そういうことを口にすることも瀬知さんに対して固く禁じてきた。


それは、われわれは1人で生き、1人で転生して、1人で魂の成長を図っているのではなく、グループでの成長を図っているからで、失敗した存在というものはないからである。


時間についても、おじさんは人間が勝手に作って縛られている低次元なものだと否定している。おじさんの世界には時間は存在しない。


前世というのも多くの人が誤解していて、人があの世へ行くと一度リセットされる、生まれてくる時に前のデータが残っていることもあるが、それが1人でなく複数の人間に焼き付くので、前世の記憶は1対1ではなく多くの人に共有ということが起きる。「私の前世はクレオパトラだ」とあまりに多くの人が言うので嘘だと鼻で笑っていたが、そんなことはなかった!


パラレルワールドという概念も2種類あって、小さいおじさんのは、行動で枝分かれしていくのではなく、もう一つの地球というような異世界のことで、そこへアクセスしたり転世も行われているという。


そして何よりも勇気を持てたのは、ものごとが叶うことには意味がなく、そこへ向かっていくエネルギーが重要だということ。結果よりも過程(プロセス)やチャレンジのほうが大切だと多くのスピリチュアルの実践家が述べているが、結局は宇宙の構造は人それぞれ言っていることが違うようで同じ、深掘りしていくと同じなんだと思った。


今生きている経験もリセットされるわけでなく、次回にキャリーオーバーされる。無駄な経験は無い。だから今一瞬を真剣に楽しく生きることが大切だ。