本来の心と意識は魂に近いものであると思います。

これに対して、精神と認識は肉体の脳に近いものであると思います。

 

私たちは感動して泣きます。

感動は脳ではなく心や魂が無意識に打ち震えて共鳴して起きるものです。

私は感動して泣くことがよくあります。

きっと自分という魂が感動を求めているのだと思います。

 

反省も脳ではなく魂が感じるものだと思います。

偽物の反省は脳でしますが、本物の反省は魂でするものである、私はそう思っています。

 

感動と反省はどちらも自分の魂の状態を確かめることができるものであると思います。

どういうことかと言いますと、感動や反省で起きる肉体的な状態を客観的に観察すれば、自分の魂の状態が分かるということです。

 

それは涙の出方でわかります。

魂が感動した時と魂が反省した時には涙が出ます。

涙は通常眼から出ますが、心の底から感動した時や反省した時には涙は鼻から出るものです。

この涙が鼻から出るというのは重要なことであると私は思っています。

 

感動と反省は一緒なんですね。

私たちは心が感動したり反省したりすると思っていますが、心の奥底には魂があるのです。

 

私は鼻が悪いです。

でもそれは仕方がないことなんですね。

感動したり反省したりすることが多ければ、その度に鼻をかむことになりますから、仕方がないと思っています。

 

よく法廷で「あなたは本当に反省していますか?」と尋ねることがあります。

それに対して「反省しています」と多くの被告が答えていると思います。

でも大抵の場合、脳で反省しているのであり、心の底から、つまり魂で反省はしていません。

それは涙の出方で分かります。

 

人間は反省していなければ涙は出ず、それは顔に出ます。

少し反省していれば眼から涙が流れます。

心の底から、魂で反省した時には涙は鼻から流れます。

 

そもそも反省というのは、大勢の前でするものではありません。

1人静かに行うものです。

従って、いくら法廷で聞いても、人間の本当の姿は分からないと思います。

 

涙を鼻から流すほどに反省をしたことがある方はわかると思います。

その時は確かに辛く苦しいですが、でも後できっと心が何となくスッキリとしたことと思います。

 

私はかつて憎いとか嫌いとか思っていた人に対して反省をした時期がありました。

その時に好きな人に対しても反省をしました。

そうしたらその数が数十人になってしまい、反省に何日も掛けたことがあります。

 

ですが、これは効きます。

眠っている魂を揺さぶる効果はあると思います。

 

魂があることがよくわからない、あるいは意識が意識できない、という方は、是非この反省というものをやってみたら良いと思います。

ただし、鼻から涙が出るような心の奥底にある魂での反省です。

きっと一歩先に進めると思います。

 

反省し感動できるのは人間だけです。

心から反省できる人は、心から感動できる人です。

そして心から感動できる人は、心から反省できる人です。

 

心をオープンにすればするほど、魂は現れてきます。

意識が意識できるようになってくるのです。

 

うそ、ごまかし、かくしごと をしていると心がオープンになりません。

その理由は、宇宙は正直に創られているからです。

宇宙にはこの地球も含めて、一つのうそも、ごまかしも、かくしごともありません。

宇宙のことがナゾなのは、心が閉じていて開かれていないからです。

魂は心の奥底にあるのです。

 

 

そして心がオープンにならなければ、生命エネルギーが上手く働かなくなってしまいます。

その結果としてやがて精神が病気になり、肉体が病気になります。

 

眠っている魂を目覚めさせるには、大いに反省をすることと大いに感動することです。

眼からではなく、鼻から涙が流れるまでにです。

 

まずは眠っている魂を目覚めさせることです。

でも魂は目覚めてそれで終わりではありません。

魂が目覚めれば、またやるべきことが山のようにあるのです。