野々島・桂島(第2回) | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 5月31日(水),宮城県塩竈市の浦戸諸島(有人4島)のうち野々島,桂島に行って来ました。梅雨に向かう前の天気の良い日にのんびりと島を巡り,海を眺めたかったからです。写真で報告します。今日は,その第2回です。

 

 浦戸諸島開発総合センター(ブルーセンター,塩竈市浦戸野々島字河岸)です。「研修目的の宿泊や貸室も行っている。市役所支所や診療所,コミュニティスペースを兼ねる。」(塩竈市観光振興ビジョン推進委員会「島歩きマップ【補足版】 浦戸諸島の歩き方」)とのことです。

 

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 待合所兼コミュニティスペース「うらとラウンジ~菜の花~」です。

 

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 近くから西側の山・海を望みます。

 

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 野々島桟橋から石浜桟橋へは無料渡船に乗ります。船長は何度もお会いしているS氏です。

 

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 白石廣造邸跡です。白石廣造は,弘化元年12月14日(1845年1月21日)武蔵國葛飾郡千塚村(現・埼玉県幸手市大字千塚)で生まれました。廣造は,明治4年石浜に「白石回漕店(白石商会)」を設立し,北海道や三陸沿岸各所の海運交通を開き,かつ遠洋漁業を経営し,オホーツク海,ベーリング海等におけるラッコ・オットセイ猟を興し,東北振興事業,塩竈築港の企画促進等を主唱しました。明治22年市町村制の実施に当たり初代浦戸村長。明治43年11月藍綬褒章。大正2年5月6日仙台で死去(享年69)。敷地内には,屋敷の礎石や石蔵,庭園の石燈籠が残っており,当時の繁栄を偲ばせるものとなっています。

 

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 宮城県観光課の説明板には,白石廣造の藍綬褒章受章を「明治23年」と記載しています。後ほど写真で紹介しますが,桂島共葬墓地の白石廣造の墓石には「明治四十三年十一月朝廷賜藍綬褒章」とあります。普通に考えて私は墓石の方が正しいのではないかと思っています(墓石が絶対に誤りでないと言っているわけではありません。)が,「明治23年」か「明治43年」か,詳しい方に御教示頂ければ幸いです。

 

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 石濱神社(塩竈市浦戸石浜字山神)です。主祭神は花園天皇で,宮城県神社庁によると由緒は「花園天皇の文安(1444年~9年)年中邑民等の奉祀するところにして山神と称した。元津山森東北砂木と呼ぶ岬に祀られていた。後今の産土神森に移祀したと伝えられる。」とのことです。

 

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 雨降り石に向かいます。

 

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 雨降り石です。水道の無い時代,ここで雨乞いが行われたと伝わっています。

 

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 海を望みます。

 

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 桂島共葬墓地です。写真のとおり,白石廣造の墓石には「明治四十三年十一月朝廷賜藍綬褒章」とあります。

 

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 海を望みます。

 

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 菜の花畑跡の説明板です。白菜を含むアブラナ科の植物は容易に交配し,雑種になってしまうため,必要な量以外は作らないようにするそうです。

 

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 「浦戸諸島に海と花のコラボした美しい風景を作りたぁ〜い‼️ 」と「”小さなボランティア”をしながら島歩きする任意団体」・浦戸諸島「海と花の物語」が管理する花壇があります。詳しくは,浦戸諸島 「海と花の物語」 (facebook.com)を御覧ください。

 

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 桂島ステイ・ステーション(塩竈市浦戸桂島字台)に向かいます。

 

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 桂島ステイ・ステーションです。旧・浦戸第二小学校の施設を活用し,大規模な改修を行って,新たな施設として平成27年12月にオープンしました。浦戸諸島への定住促進と漁業後継者の育成を目的とした施設です。

 

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 チョウ(蝶)がいました。思わずシャッターボタンを押しました。

 

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 それでは,明日の第3回に続きます。