3月1日(水),今年初の浦戸諸島(宮城県塩竈市)有人4島(朴島,寒風沢島,野々島,桂島)の島歩きをして来ました。写真で報告します。今日は,その第1回です。浦戸諸島は素晴らしい!皆さんも島を巡りながら自然,歴史,文化に触れてみませんか。
マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,塩竈市港町一丁目)です。午前9時30分発の塩竈市営汽船に乗ります。朴島までの運賃は630円です。
朴島桟橋に到着しました。所要時間約54分です。
神明社(塩竈市浦戸野々島字朴島鱈)です。主祭神は天照皇大神,豊受姫神です。
「朴島の菜の花畑」として「浦戸諸島 島歩きマップ」にも載っている浦戸諸島で最も有名な菜の花畑です。4月中旬から5月上旬に見頃になります。黄色のジュータンとタブノキ(タブ,椨)の緑が美しく,畑からはのどかな海が見渡せます。この菜の花は「仙台白菜」の採種用として栽培されているものです。浦戸諸島に大きな木があり,何の木か判らない場合に「タブノキ」と答えると正解であることが多いようです(笑)。
松島四大観の一つである「壮観・大高森」(東松島市宮戸字大高森)方面を望みます。
弘安10年(1287年)銘供養碑(「弘安の碑」)です。梵字の碑文が刻まれているのですが,イエス・キリストを抱いたマリアらしきものが描かれているとの説があります。鎌倉時代に隠れキリシタン(切支丹)はいないはずですから,これがマリア像であれば,江戸時代に隠れキリシタンが「弘安の碑」を利用して描いたものと考えられます。
朴島桟橋から寒風沢島桟橋へは渡船に乗ります。電話をかければ迎えに来てくれます。塩竈市の道路扱いですので,運賃は無料です。
寒風沢島桟橋に到着しました。
「寒風沢港の歴史」です。
ここにも菜の花畑があります。令和3年8月に宇宙から帰還した種から育てた白菜を栽培しています。「浦戸宇宙白菜」と言うそうです。
向かって一番左が造艦の碑です。この碑(縦2.3m,横1.2m)は,国防上の必要から仙台藩の命により三浦乾也(けんや)が東北で初めて西洋型軍艦(2本マストのトップスルスケーナー型汽帆船。長さ33m,幅7.6m,高さ5.8m,大砲9門)を建造したことを記念して,その門人たちにより建立されたものです。この軍艦「開成丸」建造に当たり,寒風沢に造船所を造り,小野寺鳳谷の監督の下安政3年(1856年)8月26日着工,翌安政4年(1857年)7月14日第13代藩主・伊達慶邦臨席の下進水し,その後艤装工事を経て11月完成,同年12月から正月明けにかけて寒風沢-気仙沼間の試験航海に成功したとのことです。「島歩きマップ」には「日本初の西洋式軍艦」とありますが,幕府(徳川家定)は鳳凰丸(嘉永7年(1854年)5月10日),薩摩藩(島津斉彬)は昇平丸(嘉永7年(1854年)12月12日)を完成させています(水戸藩(徳川斉昭)も仙台藩よりも早いようです。)ので,「東北初」でしょう。しかし,開成丸の性能では既に時代遅れ(軍艦としての速力不足)で,輸送船に改造してもその構造が適当でなかった関係もあって,進水後2年にしてその姿を消すことになってしまいました。造艦の碑は,昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。
「世界一周し故郷寒風沢に帰還した漂流民 津太夫と左平」の案内板です。「数奇な運命に翻弄され,日本人として初めて世界一周してしまった男たちの長い長い12年の旅路」(寛政5年11月27日(1793年12月29日)江戸を目指し石巻出港~文化3年(1806年)2月下旬帰郷)は,大槻玄沢・志村弘強の「環海異聞」全15巻にまとめられています。
日和山展望台に到着しました。日和山は標高22.2mとのことです。
天保12年(1841年)8月造立の十二支方角石です。この方角石は,十二支が刻まれた円柱形をなし,直径45cm,高さ82.5cmと他所に類を見ない堂々としたものです。奉献者が一般の船頭,廻船問屋とは異なり,幕府から差遣された役人(木村又兵衛正信)であることも珍しいようです。昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。
(参考)寒風沢桟橋近くにある十二支方角石の複製です。
それでは,明日の第2回に続きます。