9月7日(火),浦戸諸島(宮城県塩竈市)の寒風沢島,野々島に行って来ました。目的は,寒風沢島及び野々島の地蔵菩薩,寒風沢島の日和山展望台,砲台場跡,神明社,前浜,元屋敷浜,寒風沢ステイ・ステーション,霊亀山松林寺,松洞山寒澤寺,野々島の熊野神社を巡り,写真を撮影することです。今後のイヴェントに備えたものです。写真で報告します。今日は,その第2回です。
砲台場跡を目指します。
砲台場跡です。慶應3年(1867年),仙台藩は寒風沢港を海防上最も重要な地点として寒風沢-石浜水道がよく俯瞰できるこの地に砲台を築造しました。「加農砲」(カノン砲,Canon砲)3門を据え,弾薬庫,見張所を備え,また沖砲台として船入島には鉄の大巨砲2門を置き,別に石浜崎黒森に1門を据え,仙台藩から大砲方士卒(たいほうかた・しそつ)50人余りが霊亀山松林寺に駐屯して警備に当たったとのことです。
砲台場跡近くからの眺めです。
鳥居があります。光の関係で,反対(南)側から撮影しました。
向かって右から大根神社・船入島弁財天大神社です。このうち大根神社は,前浜の南にあった大根島に鎮座していたとのことですが,大根島は第6代・孝安天皇の時代に大地震のため海中に没したとされています(宮城県神社庁の神明社(寒風沢神明社)の由緒から)。
船入島龍神大権現社です。
前浜を望みます。
神明社を目指します。
少し休憩し,海を眺めます。
神明社(寒風沢神明社,塩竈市浦戸寒風沢字日和山)です。主祭神は天照皇大神,豊受大神です。建築年代を直接的に証するものは無く,恐らくは江戸中期の社殿建造で,千木・鰹木を乗せた「流れ造り」としては珍しい様式を有しているとのことです。応仁年間(1467年~9年)に楠木氏の遺臣が寒風沢に来島し,定住して稲荷神を敬神して「洲の崎稲荷」又は「宇南明神」と称していたが,後年神宮(伊勢神宮)と合祀して神明社と改めたという由緒があるようです。
それでは,明日の第3回に続きます。