文化燈籠 | 哲風のBLOG

哲風のBLOG

 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)と伊達氏(仙台藩主家)の密接な関係の紹介・第5回です。

 

 鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)四足門(唐門)を入って直ぐ左側にある文化燈籠(銅鉄合成燈籠)です。文化6年(1809年)に仙台藩第9代藩主・伊達周宗(ちかむね,「かねむね」と読む説もあります。)が,文化5年(1808年)江戸幕府から命じられた蝦夷地警護(択捉,国後,箱館に約2千人を派兵)の凱旋記念に奉納したもので,銅鉄合成の動物,花鳥をはめ込み,精巧を極めています。はめ込まれている動物は蜃(しん,気を吐く龍),獏,象,獅子,麒麟,鹿,猫,牛,鳳凰などのように見えますが,私にはよくわかりません。興味がある方は自分で確認してみてください。竿(さお,火袋を乗せる台を支えるもの)には儒学者・田辺匡敕の由来記が刻銘されています。高さは丈六(1丈6尺=約4.8m)です。昭和51年10月1日塩竈市有形文化財に指定されました。

 

文化燈籠(1)

 

 伊達氏所縁(ゆかり)のものであることを示すのが家紋です。伊達家伯記念會(会長は,伊達氏宗家第34世・仙台藩主家第18代当主の伊達泰宗氏です。)のHPには8つの家紋が載っていますが,もっと多いとの説もあります。この文化燈籠には2つの家紋が刻まれています。まず,竪三引両です。伊達氏宗家第1世・朝宗が文治5年(1189年)源頼朝から拝領した幕紋二引両を,後代竪三引両に改め輪郭に入れて図案化し定紋としたもので,伊達氏の家紋では最も古いものです。

 

文化燈籠(2)

 

 次に,竹に雀です。天文11年(1542年)第14世・稙宗の息子・時宗丸(後の実元,実元の子が「伊達三傑」の一人・「武の成実」と言われた成実です。)が越後守護職・上杉定実の養子に入ることになり,その婿引出物として贈られたもので,第15世・晴宗の代から伊達氏累代の定紋(仙台笹)となりました。しかし,天文の乱(天文11年から17年まで(1542年~48年)稙宗・晴宗の内紛に伴って発生した一連の争乱)によって入嗣は立ち消えとなったのですから,本来この家紋は返還しなければならなかったはずです。

 

文化燈籠(3)

 

 説明板です。

 

文化燈籠(4)

 

 この周宗は謎の人物です。名の読み方がはっきりしないのは,将軍に御目見(おめみえ)していないため,将軍から一字拝領(偏諱を賜う)していないからです。仙台藩主は14人いますが,一字拝領していないのは,初代・政宗,第9代・周宗,第14代・宗基の3人です。文化燈籠を奉納した文化6年周宗(14歳)は疱瘡(天然痘)に罹り,危篤になっています。その後は後遺症により公式の場に現れることなく,文化7年(1810年)諱(いみな,本名)を周宗とし,文化9年(1812年)弟・斉宗を養嗣子とし,同年17歳で隠居,ほどなく死去しています。本来であれば第11代将軍・徳川家齊(斉)から「斉」の一字を賜り,「斉〇」と名乗るはずだったのです。一説には文化6年疱瘡に罹り,そのまま死去したとされています。14歳で死去したのでは仙台藩は無嗣断絶となってしまうため,末期養子が認められる17歳まで周宗の死を3年間隠蔽したというわけです。もちろん,仮にこれが本当だとしても,公式記録に残るはずがありません。

 

【令和3年10月27日(水)追記】

 鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)境内の文化燈籠(銅鉄合成燈籠)にはめ込まれている動物について,これまで「蜃(しん,気を吐く龍),獏,象,獅子,麒麟,鹿,猫,牛,鳳凰などのように見えますが,私にはよくわかりません。興味がある方は自分で確認してみてください。」と書いて来ました。

 鹽竈神社が文化燈籠について説明している「霊獣・瑞獣案内」によると,①蜃(しん),②⑪獏(ばく),③鳳凰(ほうおう),④龍(りゅう),⑤麒麟(きりん),⑥麝香猫(じゃこうねこ),⑦白澤(はくたく),⑧象(ぞう),⑨獬豸(かいち),⑩羊(ひつじ),⑫犀(さい),⑬飛龍(ひりゅう),⑭唐獅子(からじし)とのことです。

 なお,⑥については,麝香猫ではなく,九尾の狐(きゅうびのきつね)ではないかと言っている方がいます。最後に,その九尾の狐の説明・写真を添付しておきます。

 

九尾の狐