極私的真贋見極めノート -3ページ目

「鉄コン筋クリート」「鬼畜」「砂の器」 親子映画鑑賞 1970s~2008

先日、娘と映画を見に行った。

6歳、まだ幼稚園児の娘と見た映画の題名は・・・「鉄コン筋クリート」

松本大洋原作のアニメだ。

勿論、娘に内容の全てがわかるわけも無い。

さらには、ちょっとドギマギするシーンもあり、

僕の方が緊張してしまう場面も・・・。


映画の内容は・・・

僕はコミックの雰囲気の方が好きだけれど、

まあまあなのかな?


娘の方はというと・・・。

判らないなりに2時間きちんと見て、

「私はクロが好き」だの「イタチは何者なのか」などと質問をしてきた。

判らないなりに何かを感じてはいるんだなあ。


数日後、朝日新聞の映画評の欄に「鉄キン」のワンシーンの画が載っていたりすると、

「これ私に頂戴」などと言ってきた。


僕の子供の頃を思い出すと・・・

勿論、東映漫画祭などにも連れて行ってもらったが、

小学校の時に親に連れて行ってもらった映画で思い出すのが、

「鬼畜」「砂の器」

「アルカトラズからの脱出」「エアポート77」(地方都市だったので2本立てでした)

など。

また、濃い映画に連れて一ってもらったなあ・・・などと思いながらも、

未だに当時「砂の器」や「鬼畜」を見た時に感じた、人間の暗い雰囲気なんかは強い印象として残っている。

子供は小さいなりに、判らないなりに色んなことを感じ、記憶する。

色んな映画を見に連れてゆくのは悪い事ではないのではないかと思う。


因みに、娘からは今度は「ドラえもん」と「ハリーポッター」に誘われている。

僕は「どろろ」に誘っている。





三島由紀夫の予見した日本

僕は今から8年前の30歳の時、

ある番組のディレクターをやっていた。

その番組で三島由紀夫さんを扱うことに。

氏の感受性の強さ、先見性はやはり尋常ではないことに気づかされる。


氏の残した言葉。


「このまま行ったら日本はなくなって……
 その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな
 中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が
 極東の一角に残るだろう」(三島由紀夫:1970年)


この言葉はまさに今から40年近く前、

現代日本をピシャリと言い当てている。

不二家問題、耐震偽装、ライブドア、

現在のマスコミ、上場企業、政治家たち・・・


僕は思想家でも哲学者でもない。

でも、現代の行過ぎた資本主義には甚だ疑問を感じずには居られない。

共産主義者でもないが・・・。

人間にとって理想主義は夢のまた夢だったのか?

人間の地力を信じたい。


そのまんま東を読む 

一昨日、そのまんま東氏が宮崎県知事に当選した。

やはり、市民は

「己の為にならぬ既存権力を壊すことに

躊躇しなくなっている」

という感を改めて強く持った。


では当の東さん。

とてもピュアな方だと思った。

己の失敗をキッカケに大学に通い直し、

地方自治という新たなテーマで

次の人生を突き進んだ彼の選択は決して悪くないと思った。


しかし・・・

何となく僕は東さんから人間としての「弱さ」「脆さ」を強く感じる。

この「弱さ」「脆さ」は時に人間としての決定的な判断ミスを生じさせる。

ピュアであること葉大切ではあるが、

さらに強さが伴わなければ事は為せない気がする


そういう意味では東市長は諸刃の刃だと思う。

ピュアな面を大切にしながら、自らの弱さを抑えて頑張って欲しいと思う。

彼の今後の動向は宮崎県のみならず日本全体の政治に大きく影響してくるはずだ。


もう一つ気になる事が。

当選するまで、あまり相手にしていなかったマスコミが

当選したとたんに東さんを一斉に持ち上げている。

ああいう東さんみたいなタイプは調子に乗るとあまりいい選択をしない気がする。


マスコミもちょっとその辺考えて放送すればいいのに。

まあ、恥も外聞もなく、勝ち馬には挙って乗っかろうとする、

最近のマスコミにそんな事言っても馬の耳に念仏か・・・。


若い人!同世代の人!僕の言ってること変ですか?

今日はオヤジになって嘆き節でいかせてもらう。


最近の20代前半の若い子達。

まあ、僕の身の回りで言うとADさん達なんだけど、

どうしても僕の言う言葉の意味が判ってもらえない。

僕がいつも彼らに言う言葉・・・。


「損して得とれ」


やはり人と人との関係なんてものは一朝一夕で出来上がるものではなく、

数年のスパンの中で信頼を勝ち得ていくものだと思う。

そのために今は“我慢”をし、“頑張る”のではないか。


今、人のため・・・ひいては自分のために頑張ること、耐えることが後に大輪の花を咲かせるのだと思う。


でも、この言葉の意味が若者たちにはどうにも奇妙に聞こえるらしい。


彼らは自分の損得に関して恐ろしく“近目”だ。

今、とりあえず怒られたくない。

今人よりきつい事をするのはするのは損だ。

今、大金が欲しい。

全ては逆なのに。


今は損に見えても、我慢して自分の生きていくための武器をきっちり身につけてゆくことが

あなたの幸せへと繋がって行くのです。


こんなこと言ってる僕は変ですか?

オジサンですか?

僕の人生を決めた・・・衝撃の出会い

福岡の決してメジャーではないただの町。

僕が育ったSという町。

1980年代初頭・・・そこはちょっと特別な町だった。

PUNKSだらけ。


当時は髪を整髪するGELが発売されたかされないかの時期、

町の小僧たちは洗濯糊を使って髪をビンビンに。

鋲付ダブルの革ジャン、破れたワイシャツ、

ホームセンターで買ってきた犬の鎖、

やっぱりホームセンターで買った錠前のペンダント

なけなしのお小遣いで精一杯格好をつけた。


中学1年。

勿論、僕やヒロにとってもパンクロックは衝撃だった。


黄色いジャケットにNEVER MIND

マイクを前にイカレタ眼差しで吼えまくるジョニー・ロットン。

自分は25才までに死ぬだろうと予言して21歳で自殺した

若きパンクのカリスマ、シド・ヴィシャス


CLASH,DAMNED、ニューヨークドルズ


買ったばかりのステレオ

繋いだヘッドホンから流れてくる音は毎夜僕の脳を刺激した。


そして、今考えるとと・・・・

少年時代のみならず、確実に38歳の今の僕の、ものの考え方にも大きな影響を与えている。


社会や体制を疑う目、

権力なんかには絶対服従しない・・・。


パンクロックは

ロジックでは無く脳天を突き刺すビートでそれを僕に教えてくれた。


そしてパンクロックは

どこにも持って域用の無い鬱積した何かを

常に胸に秘めた思春期の少年にとって

何故かとても優しかった。


大人たちはその格好を「おかしい」「不良の始まりだ」と言い。

その音を「うるさい」と顔をしかめた。


でも、僕の人生における「思考のベース」を形作ったのは確実にパンクロックだ。


ふとしたものとの出会いが少年の人生を決める。

今、テレビの番組を作る仕事に携わっている。

視聴率、視聴率と段々馬鹿っぽい番組ばかりが増えている感じがするが、

僕個人としては、世界で数人の少年が

「この番組を見て僕のその後の人生を決めました」

そんな番組が作りたいと思い続けている。





手塚治虫の予言

確か手塚治虫の「火の鳥」なんかでもそんな物語があったと思うが・・・


僕が子供の頃の漫画や小説に時折出てきた

『人間がコンピューターやロボットを作り、

最初は便利に使っているのだがいつの間にか支配されている』

といったストーリー


あれから凡そ四半世紀、

人間はコンピューターにも、ロボットにも支配されてはいない。

しかし・・・


最近ふと思ったこと。

企業や会社という存在。

もしかしたらこっちのほうには既に人間が支配されてしまっているのではないか・・・。


史上最高益を上げながら従業員へ還元されない、

誰も幸せになれない利益至上主義


さらに、企業としての使命や理想はどこに行ったのか?


現在、様々な会社が向かっている方向・・・

これは誰が望んでいることなのか?

経営者?中間管理職?平社員?


そのどれでもないような気がする。


では、僕らは誰の意思を受け、日々の労働を繰り返しているのか?


そんな質問をとある友人に投げかけたらこんな答えが返ってきた。

「誰の意思でもないんだと思う

会社の偉い人たちが、そのまた上の上司がこうやったら喜ぶだろうと考えることの集合体

それが今会社が向かっている道じゃないの」


誰も望んでない道、

自己保身と出世欲が生み出した幻影・・・。

企業をコントロールしてきたつもりでいた人間が、

いつの間にか企業、突き詰めると金、さらには資本主義という目に見えない化け物に

踊らされるようになってしまった。


果たしてこれから世界はどんな形になってゆくのか


皆が気がついた時にはもう、取り返しがつかない・・・・

なんてことにならないことを強く願う今日この頃です。



小学校・・・われらの時代の流行もの PART1

僕らの小学校時代。

1970年代から80年代初頭。

殆ど戦後の面影など残っておらず、

地方都市に於いても、いわゆる「三丁目の夕日」的な雰囲気は消えてしまっていたと思う。

いわゆる消費文化の始まりの時代という感じであり、子供たちの流行ものも次々に出現した。


勿論、野球やドッジボール、凧揚げやビー玉、独楽回しなども楽しんだが、

一方で仮面ライダースナックの仮面ライダーカード集めに必死になり、

ガチャガチャでスーパーカー消しゴムを手に入れ、

ルービックキューブの6面を揃えるのに頭を悩ました。


そんな中で、僕の育った地域だけなのか

爆発的人気となり、

結構息長く流行ったのが「牛栓勝負」だった。


文字通りビンの牛乳のキャップを使って遊ぶ遊びなのだが、

メンコに近く、

勝負に勝った者の総取りで牛乳のキャップを争う子供たちのギャンブルといった感じの遊び。


先ず双方が同じ数の牛乳キャップを持ち寄り、

これが賭けの対象となる。

一枚対一枚、5枚対5枚、そのキャップを指でひっくり返しながら、

最後に全部をひっくり返せたほうが勝負に出されたすべての牛乳キャップを

もらえるという簡単なルールである。


給食でビンの牛乳が出ていたので、

牛乳の栓はふんだんにあった。

僕らの学校で出されていたのは「永利牛乳」という牛乳。

この「永利牛乳」は簡単に手に入ったのだが、

やはり今のカードゲームに違わずレアものというのが人気となる。


今もそうだろうが、牛乳は結構全国各地色々なメーカーがあり、

みな、何処かに家族と出かけた先でその土地の牛乳を飲み、

ほかの奴らの見たことの無い様々な牛栓を手に入れていた。


そしてそれらのキャップのデザインの美しさや、勝負に出回る数などが

夫々のキャップの価値を決めていた。


また、みんなが欲しがるレアキャップの一つに「ノーイン」という名で呼ばれるものがあった。

字で説明すると「NO印」といった感じ。

いわゆる牛乳のキャップとして市場に出回る前のもの。

製造年月日の刻印されていないものだ。

みんなこれをどこからか手に入れてくる。


これが周囲が曲がっておらず、ひっくり返りにくい。

そういうこともあり「ノーイン」の人気は絶大だった。


勿論ノーイン対ノーインの勝負にでもなると子供たちの目の色は真剣そのもの。

そこはまさに勝負師対勝負師の戦い。


今の時代と違い、大人たちが金儲けのために用意したもので遊ぶのとはわけが違い、

両親からは

「そんな汚いものとっとと捨てなさい!」

などといわれながら僕ら兄弟もせっせと牛栓を集めていた。


いい時代だったなあ。



双子の転校生

誰でも一度ぐらいは体験したことがあるのではないか・・・「転校」

僕とヒロも一度だけ転校を体験した。

福岡県内のD町から隣のO市へ。


昭和51年、僕らが小学校2年のときに両親が念願の一戸建てを購入したのだ。

一面ほぼ同じような佇まいの建売住宅が並ぶベッドタウン。

全国どこにでもありそうな町並み。

4DKのうちの一部屋は板張り。今で言うフローリングだ。

そこに両親はソファーセットを置いた。

さらに木目調の本棚を購入し、百科事典を並べたりしていた。


3学期の始業式、

その日が僕とヒロの転校初日。

僕らは同じ2年3組に組み込まれた。

誰も知らないクラス。

でも僕らは一人ではなく二人一緒だから普通の人たちの転校より随分心強かったはずだ。

双子の特権!


ドキドキ、そしてちょっとだけワクワクしながら最初の挨拶を済ませた。


最初の休み時間、何人かの新クラスメートがよってきた。

そして、その中でリーダーと思しきジャンパーに半ズボンの少年が開口一番・・・。

「あんたたち喧嘩強い?」

えっ?

いきなり腹にパンチを入れてきた。

体も割と大きく腕力に自身があった僕とヒロはすかさず返り討ち。

どんな手でやったのかはもう忘れたが、いきなりの勝利。


子供の世界は面白いものでこの挨拶が終わると何の後腐れも無く仲間になってしまう。

初日から僕ら双子は急速にクラスに溶け込んで行った。

子供は子供なりに常に越えなきゃいけないハードルを越えながら日々成長してゆく。


最初に喧嘩を仕掛けてきた半ズボンの彼は、やはり2年3組のリーダーだった。

近所の団地に住んでいる“青木っちょ”こと青木君。

体はそう大きくなかったがとても元気な少年で、ガキ大将ではあったが、

弱いものいじめなどは殆どしないタイプだった。


その後僕らはよくドッジボールをしたり、フットベースをしたりして遊んだ。


しかしそれから約1年、今度は“青木っちょ”が東京へ転校することに。

別れの際には「これからもずっと手紙を出し合って・・・」みたいな約束もしたのかもしれないが

子供たちの世界は夫々、いつまでも止まってはいない。

いつしか彼のことも記憶の片隅に少し残す感じで、僕は日々遊びに、喧嘩に、悪戯に明け暮れていった。


あれから20年以上。

僕は“青木っちょ”の消息を社会人になって突然知ることになる。

インターネットに出ていた彼は・・・・何と世界的に有名なパティシェになっていたのだ。

さらにフランスに住んでいた彼が妻に選んだのは超有名元アナウンサー○宮○子。


その後連絡などは取っていないが、もし一緒に仕事でもする機会があったら、

楽しくやりましょう。


双子という人生

このブロのタイトルは・・・テツ&ヒロ BOYS BE AMBICIOUSであるが、

今まで殆どヒロとのことを書いていなかった。


今日はド正面から描いてみたいと思う。


双子の片割れという人生


父親の精子と母親の卵子がめぐり合い、

細胞分裂が始まった最初の段階、

二卵割腔の段階でその細胞が二つに別れ、

同じDNAを持つ細胞が夫々個として成長し、生活をしてゆく。

それが一卵性双生児だ。


もの心ついた時にはいつも隣にヒロが居た。


同じDNAを持っているとはいえ、僕にとって僕は僕自身であり、

ヒロは他者であり、二つは全く別物。

別の肉体と別の心を持っているのだから。


でも、他人から見てみれば二人の容姿は非常に似通っている。

会う人毎に「どっちが背が高いの?」「どっちが喧嘩は強いの」「どっちが足が速いの?」

「どっちが勉強が出来るの?」

そう尋ねられた気がする。


そのことに対する僕の反応は(5分先に生まれたからつけられた長男という肩書きのせいか)

全てにおいてヒロより勝っていなければいけないという使命感を持つことだった。

もちろん当時はそのことを余り意識はしていなかったが、

今振り返ると常にそう心の底で思っていたような気がする。


一方のヒロの反応は全く別物だった。


殆ど僕が何をし、どんな成績をとろうと気にしていない・・・・とは言わないまでも。

僕の存在は関係なしに彼は彼の楽しいことや世界を作ることに専念しているように見えた。


そういう意味では、

人様から見ると、様々な部分において

数値的に僅かに僕のほうが少し早く成長しているかに見えたかもしれないが、

実はヒロのほうが早熟だったのだと思う。


他人には、ヒロと二人の関係においても、さらに仲間まで広げた関係においても、

僕がイニシアチブを取っているように見せかけながら、

その本質は全く違って、僕のほうが彼が見つけた新しい世界を追いかけながら、

僕の見つけた新しい世界であるようなふりをしていたのかもしれない。


そして、俺こそ【正当なる王子】であることを示すためなのか、

よく奴を殴った。

もちろんヒロだって殴られたままではいない。

殴り返してくる。

年が同じでDNAが同じである二人。

そりゃ結構壮絶である。

一方が骨を折ったこともあれば、一方が包丁を持ち出したこともあった。

二人の殴り合いは日に3度から5度は繰り返されていたのではないか。

それが1年365日続く。

幼稚園から小学校、中学校、高校辺りまで続いた気がする。


やはり、そこでも奴には少しだけでも勝っていなければならないという使命を持った僕は、

その瞬間、その瞬間、

彼が屈服したかのように見えるまで“やった”。


今は本当に仲の良い二人ではあるし、当時ももの凄く仲の良い部分、

他者が絶対に入ることの出来ない二人だけの以心伝心的なものはあったのだと思う。

でも・・・。


僕とヒロの人生は決して暗い人生ではないと思うし、むしろ楽しいものだった。

でも過激ではあった。

そして、二人の関係において双方が鍛えられていった部分も多かったと思うし、

その二人が力を合わせて、パワーを外に向けたときは

自分で言うのもなんだけどもの凄いものがあったと思う。


まあ、いろんな意味で双子であることは僕らが(ヒロに確認は取っていないが)成長していく上で

非常に大きな意味を持ったと思う。


取り留めのない落ちのない話になりましたが・・・・今日はここまで。


このブログは楽しいブログとしてこれからも続いてゆきます。ヨ・ロ・シ・ク。





給食・・・そしてハルエちゃん

僕の小学校の頃の特技の一つ。

給食をほとんど残さないこと。

そして、給食を食べるのが早いこと。

給食を食べるのが早いと運動場の場所取りができて結構よかった。

ちなみに今も飯を食うのが異常に早く・・・妻や娘に批判される。


給食スピード王だった僕。

僕には何人かの早食いライバルが居た。

一人はもちろんヒロ。

クラスが違ったので奴は家でのライバル。

小学校の頃、どっちがたくさん食べるかを競い合い、

チキンライスを7杯づづ食べた気がする。


学校でのライバル・・・。

一人はコイソッペ。

気は優しくて力持ち。草食大型動物といったタイプ。

もう一人は・・・ハルエチャン。

なんと女の子だった。

しかし、僕は当時彼女をハルエチャンなどと呼んだことも無く、

ましてや、女などと意識をしたことも無かった。


カレーや、鯨の竜田揚げ、

人気のあるメニューの日は残された少ないおかずをお代わりで食べようと

幾人かのお代わりハンターたちが目を光らせることになる。


「いただきます」

その掛け声とともにおかずをかきこむハンターたち。


大体の奴らに僕は何時も勝利してたが、

全盛期のハルエには負け越したような気がする。


「ハルエ」

一見可憐に聞こえるこの名前。

しかし奴は可憐でもなく、お盆のような顔をしていて、

冬になると何時も霜焼けで手がたらこかグローブのようになっていた。


そんな「ハルエ」と隣の席になった。

色々と話を聞くと彼女にはお母さんが居なく、

姉と父親とばあさんと住んでいるとのこと。

炊事は自分がすることになっており、

それをやってる限りは霜焼けはどうしようもないと言っていた。

ちょっと偉いと感心した。


でもあんな指でどうやって鉛筆を握っていたのだろう?

どうしても思い出せない。

今頃、ちゃんと結婚して、子供もいるのかなあ。