☀皆様こんばんは 🙇
☔昨日、福岡県地方も梅雨入りが発表され、いよいよ、本格的な雨のシーズンに突入致しました。
☀そんな中、晴天に恵まれた北九州地方です、その晴天を利用して、北九州市若松区響町の北九州エコタウンの一角にあります「響灘沈艦護岸」通称「軍艦防波堤」を訪ねて来ました。
👸私のブログのお友達が、先日の父の日の記事で、旧海軍におられたお父様の思い出を綴られておられました、私は、過去の記事で、その思い出に沿った記事を更新していた事を御案内させていただきましたが、当時は、まだ、ガラケーでの撮影でしたので、満足なお写真が提供出来ず、本日、撮り直す意味で、軍艦防波堤にお邪魔した次第です。
🚢北九州市若松区響町にある軍艦防波堤の場所です。
(緑色の場所が軍艦防波堤の位置になります)
✏響灘沈艦護岸(軍艦防波堤) 説明書きです。
🚢この軍艦防波堤には、「初代•柳」「涼月」「冬月」の3艦が眠っています。
(柳•涼月•冬月の詳しい説明書きです)
🚢3艦の大体の場所の案内図です。
(海の方から、柳、涼月、冬月の順に沈艦されています)
🚢ブログ友達のお父様が乗艦されていたのは、この中の「涼月(すずつき)」と言う駆逐艦でした、この「涼月」は、あの戦艦大和の護衛艦として、昭和20年4月7日、天一号菊水作戦遂行の為、僚船•冬月と共に、大和を護衛し、沖縄に向けて出港して行きました。
🚢勿論、お父様の姿も、その涼月の艦上にあったそうです、その後、米軍機の攻撃を受け、不沈艦と称された戦艦大和は、大爆発を起こし、鹿児島県の坊津沖でその生涯を閉じました。
🚢大和の最後を見届けた「涼月」も、自ら大破したにも拘わらず、冬月と共に、多くの乗組員を救助し、後進しながら佐世保港に帰還したそうです。
🚢在りし日の駆逐艦「涼月」と説明書きです。
🚢こちらが、駆逐艦「柳」です。
(涼月側から見た「柳」です)
(涼月が埋没されている護岸を北側から眺めてみました)
🚢休みの日ともなると、釣り糸を垂らす人たちの姿も見受けられる長閑な軍艦防波堤ですが、今から約80年前、お父様を始め、御国の為に戦った先人達を乗せ、奇跡の帰還を成し遂げた2艦が此所に眠っている事を、私達は、決して忘れてはならないと思います。
🙏また、同じ若松区にある紫陽花の名所「高塔山」の中腹には、この3艦で犠牲になられた方々を慰霊する慰霊碑が建てられています。
(紫陽花の名所、高塔山公園の入口です)
(その中腹の公園の片隅に、その碑はあります)
(こちらが、3艦で犠牲になられた方々の慰霊碑です、お父様の戦友の方々もお空から眺めていることでしょうね)
🙇最後までお読みいただき、ありがとうございました。