大阪造幣局の桜の通り抜け(2024年4月) | 鉄道で行く旅

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2024年(令和6年)大阪造幣局の桜の通り抜けに行ってきました。今年の撮影日は2024年4月10日(水)でした。

 

今年は異例なことに大川沿いの桜が、まだ咲き残っていました。

 

大川沿いの桜は「散り始め」といったところでした。

 

京阪8000系と大川です。

 

遅咲きの八重桜が中心の造幣局(事前申込制)に入りました。

まだ咲いていない桜の木が結構ありましたので、満開のサクラの下は人が大勢集まっていました。

 

緑色の花なので「鬱金(うこん)」 でしょうか。

 

「花見ぼんぼり」がいい感じでした。

 

造幣局の大阪本局は1871年1月17日(明治3年11月27日)に銀貨製造を開始し、1871年4月4日(明治4年2月15日)に大蔵省造幣寮として創業式を挙行しています。1871年6月27日(明治4年5月10日)に新貨条例および造幣規則布告がされて近代的貨幣制度が開始されました。
1877年(明治10年)1月11日に造幣寮から造幣局へ改称されています。

 

永源寺桜です。

 

1883年(明治16年)に当時の造幣局長遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と桜並木の一般公開を始めたのが「桜の通り抜け」の始まりであり「桜の通り抜け」の呼称は1907年(明治40年)頃に定着しました。1943年(昭和18年)から1946年(昭和21年)までは太平洋戦争による被災で中止され、大阪大空襲では多くの桜を焼失しましたが、戦後に職員らの蒐集により多品種の桜並木が復元されました。

 

普賢象桜です。

 

駒繋桜です。

 

造幣局の「桜の通り抜け」は、1967年(昭和42年)に観客の1人が転倒したことから将棋倒しとなり、女性1人が死亡し27人が負傷するという事故がありました。これをきっかけとして、1968年(昭和43年)から川崎橋方向の南側ゲートから入場し桜宮橋方向の北側ゲートへ抜ける一方通行となっています。

 

今年の通り抜けは、事前申込制ではあるのですが、それでも人が多かったです。

 

「花見ぼんぼり」です。通り抜けのゴール地点である桜宮橋(銀橋)が見えてきました。

 

桜宮橋(銀橋)から撮影した大川の桜です。

 

桜宮橋(銀橋)から撮影した「ダブルツリーbyヒルトン 大阪城」です。

 

この日の昼食は、フジオフードシステムのフジオ軒京阪モール店で「日替わりハンバーグランチ」をいただきました。

この日は天気が良く、花見には最適な一日でした。

(おわり)

 

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