東京日帰りの旅(湯島天満宮編) | 鉄道で行く旅

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新宿三丁目駅から湯島駅に向かいました。

都営新宿線で小川町駅へ。

 

小川町駅から東京メトロの新御茶ノ水駅まで徒歩連絡です。

 

東京メトロの千代田線に乗り、新御茶ノ水駅から湯島駅へ。

 

湯島駅前の「湯島白梅商店会」です。湯島天満宮への参拝は初めてですが、湯島駅は、その昔、不忍池を訪れたときに利用した思い出があります。

 

湯島天満宮の男坂です。

♪湯島通れば 想い出す お蔦 主税(ちから)の心意気

 知るや白梅 玉垣に 残る二人の 影法師

湯島の白梅 / 小畑 実 (Showa Kayo)

 

湯島天満宮の女坂です。梅の花は散った後でした。

 

おんな坂 (原田悠里 - Topic)

原田悠里さんの「おんな坂(2002年)」歌唱記念碑です。北島三郎さんの書です。

 

♪恋の思案に 日も昏(く)れる 湯島 天神 おんな坂

湯島天神おんな坂 (岡ゆう子 - Topic)  2016年の歌唱です。

 

湯島天満宮の天神夫婦坂です。坂の途中に登竜門があります。

♪この坂を越えたなら しあわせが待っている

 

湯島天満宮の銅鳥居です。

 

湯島天満宮の本殿です。

 

 

湯島天満宮の本殿と参拝者です。

 

湯島天満宮境内の複数個所に夥しい数の絵馬が奉納されていました。参拝者が多い東京の天満宮らしい風景でした。

 

この「新派」の記念碑は新派劇創立90年を迎えた昭和52年(1977)11月1日松竹株式会社と(初代)水谷八重子氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。              
新派の始まりは明治21年(1888)12月自由党荘士角藤定憲が同志を集め大阪の新町庄で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。風雪はげしい90年ではありましたが、今日「劇団新派」として隆盛を見ましたその先人たちの苦労を偲び併せて今後の精進を誓うべく記念碑の建立を見た次第です。
そして新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれております当天神様のご境内に移させていただいたものです。
なお碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。左側の梅樹は昭和31年(1956)新派の名優故花柳章太郎氏の献木によるもので奇しくも記念碑と献木が同じこの場所に並んだ次第です。
 昭和54年(1979年)4月26日

 

王貞治さんの努力碑です。

王貞治君は、昭和五十二年九月三日午後七時十分五秒、後楽園球場において通算本塁打七五六号を達成、前人未踏の世界記録(当時)を樹立しました。これをたたえて政府は、わが国初の「国民栄誉章」を贈り、また球界最高の「正力松太郎賞」初の受賞者となりました。これは、昭和三十三年読売巨人軍に入団以来試練の嵐に耐え、心技を研鑽した努力の結晶であります。王君は、これを記念し崇敬する湯島神社に、白梅一樹を献木いたしました。ここに有志相集い、王君の生涯の座右銘である「努力」の碑を建立、もって青少年の亀鑑とするものであります。
 昭和五十三年一月一日
有志代表
読売新聞社社主読売巨人軍オーナー 正力  亨
読売新聞社社長          務臺 三雄
日本テレビ社長          小林與三次
セントラルリーグ会長       鈴木 竜二
湯島神社宮司           押見 守康
       刻         山田 光造

 

湯島天満宮のガス灯です。

♪青い瓦斯(ガス)灯 境内を 出れば本郷 切通し 

 

堀ちえみさんの愛用店である小料理屋「天神前 兜魚(かぶとと)」です。

 

 

本当は、「天一」の特製天丼ではなく、「兜魚」のランチメニューの刺身定食を食べてみたかったです。

 

東京メトロの千代田線で湯島駅を後にして、大手町まで移動しました。

 

東京駅から「のぞみ号」のグリーン車で新大阪まで帰りました。車両はN700Aでした。

EX-ICなので、当初の予定よりも1時間10分ほど前の東海道新幹線に変更をしました。

 

東海道新幹線のグリーン車でしたので、モバイルオーダーサービスを利用しました。

 

京都イノダコーヒとスジャータの京都宇治抹茶のアイスクリームを注文しました。

 

スジャータのアイスクリームは相変わらず硬かったです。

(おわり)

 

選ぶなら、つぶあん派?こしあん派?

つぶあん派です。

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