小林一三記念館見学記 | 鉄道で行く旅

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2023年12月2日(土)に小林一三記念館を見学しました。

 

池田城跡公園の紅葉です。

 

池田城跡公園南門前の階段を降りてから、振り返り見た、池田城跡の模擬櫓台です。

 

小林一三記念館に着きました。ここに逸翁美術館があった2008年以来の訪問でした。約15年ぶりです。

玄関の長屋門は、旧・東能勢村(現在の豊能町)から庄屋の長屋門を移築したものです。

 

 

小林一三記念館(旧小林邸)です。平成22年(2010年)以降は、小林一三(1873年~1957年)の生涯や事業を資料・写真・映像などで紹介する記念館になっています。

白梅館の展示室です。白梅館は旧・逸翁美術館の展示室があった場所です。

画像のように阪急電車のイメージでした。

 

箕面有馬電気軌道関係の展示だと思います。

 

阪急百貨店(うめだ本店)の旧ターミナルビルです。

 

昔のポスター類です。「京阪電車新京阪線(現在の阪急京都本線)」の「十三 - 京都(大宮)間直通急行列車運転開始(1934年9月1日)」のポスターも展示されていました。

 

宝塚歌劇関係の展示です。

 

東宝グループの東京進出関係の展示です。

 

小林一三の旧邸である洋館「雅俗山荘」に向かいました。

「雅俗山荘」も2回目の見学です。

 

「雅俗山荘」の玄関です。

 

入館料は300円でした。(2023年12月現在)

 

1階の応接室です。この右側の壁は撮影禁止でした。

 

2階のビデオ室です。元は何の部屋だったのでしょう?

 

2階に展示されていた小林一三氏の交友関係です。各界の重鎮だった方々でした。

下のガラスケースの中には、勲一等瑞宝章(現在の瑞宝大綬章)や勲記(昭和天皇の御名・国璽入り)が飾られていました。

 

2階の書斎です。

 

2階にもあった応接室です。

 

夫人の家事室です。

 

夫人の家事室の奥にある風呂場です。昭和時代のシティホテルのバスルームのような感じでした。

 

夫人の部屋の縁側です。昭和時代の和風旅館の縁側のようなデザインでした。

 

夫人の部屋です。

 

小林一三邸内の茶室のひとつである人我亭(にんがてい)です。これは、小林一三氏の没後に移築された茶室です。

昭和39年(1964年)に岡田孝男氏の指導により、近隣の家から移築された四畳半に六畳の次の間が付く茶室です。一席25名位の茶会が可能です。1月25日の小林一三の命日には、ここで逸翁白梅茶会が催されます。
庭園に向かって掲げられた扁額は松永安左衛門(耳庵・1875年~1971年)筆です。

 

人我亭の水屋前の通路がタタキ土間になっており、そこに「一二三石(ひふみいし)」がありました。

 

修学院離宮上御茶屋の隣雲亭(りんうんてい)で見た「一二三石(ひふみいし)」を思い出しました。(2018年1月撮影)

隣雲亭の一二三石の黒色は加茂川、赤色は鞍馬山から集めてきたといわれる砂利でしたが、小林一三記念館の人我亭は修学院離宮に遠慮したのか、全てが黒色の一二三石でした。

 

茶室の費隠(ひいん)です。昭和19年(1944年)に京都の寺院から移築したものです。

 

費隠の茶室内部です。

 

庭から見た「雅俗山荘」の洋館です。建築年は昭和12年(1937年)1月です。

 

庭から見た「雅俗山荘」のレストラン部分です。レストラン(営業中)の内部は撮影禁止でした。

 

小林一三記念館付近の紅葉です。

 

現在の逸翁美術館です。今回は入館しませんでした。

 

与謝蕪村

2008年に旧・逸翁美術館のミュージアムショップで与謝蕪村 の「又平に遭うや御室の花ざかり」の絵葉書を購入したことを思い出しました。

(注:この画像は大阪・毛馬の蕪村公園で撮影したものです)

 

池田文庫前の紅葉です。

 

阪急電車の池田駅から普通電車で大阪梅田駅まで帰りました。

(おわり)