四条畷神社と楠木正行の墓所に行ってきました。
旅行日は2022年10月18日です。
JR学研都市線の四条畷駅です。小学校の遠足シーズンだったことから、往路の四条畷駅プラットホームは小学生児童で溢れていました。そのため、電車撮影は復路の四条畷駅で撮影しました。
四条畷駅に東出口から四条畷神社まで歩きます。
東出口には画像のような「国史跡 飯盛城跡」の幟があり、道案内のパンフレットも用意されていました。
しかしながら、今回は飯盛城跡には行きません。
四条畷学園の前を通りました。
飯盛山の麓にある四条畷神社の第二鳥居が見えてきました。
四条畷神社は、四條畷の戦いで敗死した南朝の将・楠木正行(くすのき まさつら)を主祭神としています。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれています。
四条畷神社の休憩所です。かつては展望台だったそうですが、樹木が茂っているため平野部を眺めることはできません。
四条畷神社の境内にある「淀川治水功労者 大橋房太郎君紀功碑」です。
大橋房太郎(おおはし ふさたろう、1860年 - 1935年)は、大阪府出身の政治家です。大阪府を流れる淀川の治水に一生を捧げ、治水翁と呼ばれました。
四条畷神社の拝殿です。
楠木正成・正行父子の「桜井の別れ(桜井の駅の別れ)」の像です。「忠孝両全(君主へ忠義を尽くすことと、両親へ孝行することは全く別のものだが、どちらも両立させる)」と書いてあります。
四条畷神社の石段で見た落葉です。
四条畷神社を後にして、楠木正行の墓所に向かいます。
四条畷神社は四条畷駅の東側にありますが、楠木正行の墓所は四条畷駅に西側にあります。
このためJR学研都市線の踏切を渡ります。
楠木正行公の墓所です。
楠(楠木)正行(くすのきまさつら)は楠木正成(くすのきまさしげ)の子で、南北朝時代の正平三年(1348年)の四條畷の戦いで北朝方の高師直(こうのもろなお)と戦って討ち死しました。
正行の遺骸はこの地に葬られ墓石が建てられたと伝えられています。その後80年経ってクスノキ2本が植えられ、成長を続けたクスノキは墓石を包み込み2本が1本となって現在に至っています。
現在墓所にある石碑は明治11年に建てられたもので、大久保利通の揮毫(きごう)による「贈従三位楠正行朝臣之墓」の銘が刻まれています。(四条畷市の史跡説明からの引用です)
明治11年(1878年)は大久保利通が暗殺された年ですが、大久保利通の暗殺は5月であり、楠木正行の石碑建立は1月のことだったようです。
(おわり)