伏見ぶらり散歩2022 | 鉄道で行く旅

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今回は、京阪電車の中書島(ちゅうしょじま)駅と伏見桃山駅付近を歩いたときの記事です。

(撮影日は2022年6月27日でした)

京阪電車の中書島駅に着いたところです。

 

中書島駅構内のアンスリーです。

京阪ホールディングスの発表によりますと、京阪ザ・ストア系のアンスリー全店(大阪府・京都府)が2023年度中までに閉店し、「京阪ザ・ストア系アンスリー」32店のうち19店が「もより市(食の商店)」に変わり、そのほかは賃貸店舗になる予定です。

 

中書島駅前にある「魚民」です。(店舗の上層階は賃貸マンションです)

かつては、和食料理店の「南つる」でしたが、今はモンテローザのチェーン店「魚民」になっています。

まだ「南つる」が木造建築だった頃に利用した思い出があります。

 

中書島駅前の中書島繁栄会(商店街)です。

 

今は思い出の、中書島繁栄会にあった「シマのおや亭」です。(2004年撮影)

 

中書島繁栄会にある銭湯の新地湯です。伏見の名水(地下水)を使った名湯ということです。

建物の上部は昭和初期のデザインのままです。

 

蓬莱橋から見た「伏見みなと公園」です。

 

伏見区南浜町付近の竜馬通りです。

 

三十石船が大坂と伏見を往来していた江戸時代に賑わった船宿の寺田屋(伏見区南浜町)です。京都市の調べでは「寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである」ということです。

 

総本家駿河屋の分家である駿河屋本店です。ここは、1781年に諸大名の休息所として作られた店舗ということです。

 

駿河屋本店にある「我国に於ける 電気鉄道事業発祥の地」の石碑です。

明治28年(1895年)2月、京都電気鉄道が「京都東洞院七条下る」から「伏見町油掛京橋北詰」に至る約7キロ間を開業しました。

この日本最初の電車運転は京都市街ではなく、むしろ京都と伏見を結ぶ都市間電車という性格でした。

明治28年の段階では、京阪電気鉄道が開通しておらず、大阪八軒家と伏見を結ぶ淀川汽船会社の蒸気船が運行されていました。京都電気鉄道は淀川汽船会社との間に連絡切符を発売し、伏見に上陸した客を京都市街部に運んでいました。

この淀川汽船会社のルートは、官設鉄道(現在のJR)の京都~大阪間よりも運賃が大幅に安かったため人気があったということです。(青木栄一著「鉄道と河川交通」を参考にしました)

 

明治28年(1895年)創業の御菓子司「富英堂」です。「酒まんじゅう」「えがお」「酒蔵」「龍馬鍔」「御香の水」など、伏見らしい菓子を販売されています。

2023年11月追記:「京菓子司 富英堂」は2023年5月31日をもって閉店されました。創業128年の歴史を持つ老舗でした。

 

清酒「神聖」の山本本家の事務所です。

 

会津藩駐屯地跡の伏見御堂です。この付近は、伏見城の城下町だったことから、防御目的のために、十字路ではない変形交差点になっています。

このため、「四つ辻の四つ当たり」と呼ばれています。

 

自動販売機で清酒「神聖」のカップ酒(吟醸と上撰)を販売していました。『いっぱいやっか。』

 

京阪電車の大阪町踏切です。奥には近鉄京都線が走っています。

 

大阪町踏切で撮影した京阪電車です。

 

京町通り(奈良街道)にある明和元年(1764年)創業の老舗料理店「魚三楼」です。

 

京町通り(奈良街道)にある総本家駿河屋です。創業は1461年(寛正2年)で、1589年(天正17年)に京町に移転しました。

『ウィキペディア(Wikipedia)』には、「和歌山へ出店した後も伏見・京町の店舗は残されて総本家と呼ばれており、京都側から見れば和歌山にも出店した形となっていた」と書かれています。

 

京町通り(奈良街道)にある、お洒落なデザインの町屋です。

 

2021年3月12日に開業した「京阪伏見桃山ビル」です。2018年3月まで同地で営業していた「京阪伏見桃山駅前ビル」を建て替え、テナントを一新したということです。

たしか、「京阪伏見桃山駅前ビル(旧ビル)」は、元々は「京阪デパート(京阪ザ・ストアの前身) 桃山店」だった建物(1974年3月竣工)で、スキップフロア(フロアが田の字型に4分割されており、フロアを徐々にステップアップしていく形態)という特殊な構造でした。

 

京阪電車の大手筋踏切を渡り、大手筋商店街に入っていきます。

 

【伏見銀座跡の石碑】地方都市によくある、商店街名の「〇〇銀座」ではなく、本来の意味の『銀座』発祥の地です。

(京都市伏見区銀座町1丁目にある説明板からの引用)

 これより北方の銀座町は江戸時代のはじめ、徳川家康によってはじめて銀座がおかれたところである。銀座とは、鋳を加工して一定の品位をもつ丁銀、小玉銀などの銀貨とする独占鋳造所のことで、特権商人によって構成される。

関ヶ原の戦が終わった翌慶長6年(1601年)5月、家康は後藤庄右衛門、末吉勘兵衛に銀座取立を命じ、この地に四町の屋敷を与えた。有力商人の座人が集められ、早くから銀鋳造は特殊技術をもつ大黒常是が鋳造を担当し、銀座会所、座人屋敷が立ならんだ。

これが、江戸時代銀座のはじまりである。慶長13年(1608年)、銀座は京都中京の両替町に移され(のち江戸、大坂などにも設置)、伏見銀座は廃止されたが、銀座の地名は今にとどめている。

 伏見観光協会

 京 都 市

 

 

伏見神聖酒蔵「鳥せい本店」と「山本本家 神聖直営店」です。

「鳥せい本店」のランチメニューでは、「とりめし定食」または「焼き鳥定食」が好きです。

 

「伏見夢百衆(日本酒バー)」です。ここは、月桂冠の旧本社の建物だったものです。

 

「月桂冠大倉記念館」です。創業350年以上の歴史を持つ月桂冠の記念館施設(有料公開)です。

 

豪川と「月桂冠大倉記念館」です。

 

弁財天の長建寺の竜宮造りの門です。地元では「シマの弁天さん」と呼ばれています。本尊は京都で唯一、平安中期の作といわれる八臂弁財天(はっぴべんざいてん)です。

 

「京阪電車・市電 乗場一町」の文字が刻まれている寺院標柱です。

 

三十石船を弁天浜に停泊させるときに使われていた「杭(くい)」が長建寺の境内に保存されていました。

 

この日の昼食場所は、京阪電車の樟葉駅前の「くずはモール」を利用しました。

そのついでに、8年ぶりに「くずはモール」のSANZEN-HIROBAを再訪問しました。

SANZEN-HIROBAで撮影した京阪の旧3000系です。

 

この車内に入ることはできませんでした。

 

旧3000系の社章です。

(おわり)