大阪近辺の菓子メーカー探訪記(後編) | 鉄道で行く旅

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2006年8月に大阪近辺の菓子メーカーを探訪したときの旅行記の後編です。

JR天王寺駅から関西本線の普通電車に乗りました。

 

東部市場前で下車しました。この駅の所在地は東住吉区杭全(くまた)です。今川を渡って生野区林寺にあるフルタ製菓まで歩きました。

 

7.フルタ製菓株式会社(1952年8月創業)

ご年配の方なら、駄菓子屋で売っていたチューブチョコの「チョコソフト」を覚えていると思います。
 

「チョコエッグ」や「セコイヤチョコ」などがフルタ製菓の現在の人気商品です。

 

桑津から「駒川(今川から分岐している川)」に沿って歩き、阪和線の美章園駅に向かいました。

谷村新司氏が東住吉区のこのあたりの育ちです。たしか、氏の著作本の章のタイトルに「駒川町ミッドナイトブルース!」と(思いつきだろうけど)書いてあったことを懐かしく思い出しました。
♪バイバイバイ私のあなた バイバイバイ私の心 バイバイバイ私の命 バイバイバイMy Love

 

8.株式会社こまどり製菓(1954年創業)

近鉄南大阪線高架下の河堀口(こぼれぐち)駅と北田辺駅の間に写真の「こまどり製菓」があります。ここは「すずやき」とか「みるくボーロ」などを製造しています。

 

こまどり製菓の多くの商品には「こまどり」が描かれています。

 

この日は、蒸し暑い一日でした。現在は徳島大正銀行になっている大正銀行美章園支店が写っていました。

 

頭の中で、島木譲二の「困った、困った、こまどり姉妹」というギャグを思い浮かべながら、なんとか美章園駅にたどり着きました。

 

JR阪和線の美章園駅は1931年に民営の阪和電気鉄道の高架駅として営業を開始した古い高架駅です。大戦中の空襲で元の姿ではないものの、それでも私鉄駅のような雰囲気が今も残っています。

 

百舌鳥(もず)駅に着いたところです。

 

大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)の前を通りました。

 

9.中野物産株式会社(1931年6月創業)

中野物産の主力製品は、もちろん、あの「都こんぶ」です。
「都こんぶ」は商品分類では「山だし昆布」が本来の名称なのですが、中野物産は、「山だし」の反義語である「都」と命名しているのです。
よく調べたところ、京都出身の創業者が『京の都への憧れと郷愁の想いから、都こんぶと名付けた』ということでした。
 

左側は、オフィスグリコで販売されているダブルネーム版の「中野の都こんぶ」です。パッケージに「office glico」の文字が印刷されています。
続いて、中野物産の近所にある前田製菓の堺工場です。

 

10.前田製菓株式会社(1918年創業)

前田製菓は「てなもんや三度笠」のオープニングで、藤田まことが「あっしは泉州は信太(しのだ)の生まれ、あんかけの時次郎。義理に強いが人情に弱い・・」「俺が こんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」と宣伝していたことで有名でした。


♪それそれな~に? それな~に? ・・ ラララ まえだ~の、まえだの ランチクラッカー


前田製菓から阪堺電軌御陵前までは遠かったです。

暑さで、ヘロヘロになりながら阪堺線御陵前にたどり着きました。

 

塚西停留場で阪堺線から降り、四つ橋線の玉出駅まで歩きました。この駅間は、それほど距離が離れていないので楽でした。

その後、北加賀屋駅まで四つ橋線の電車に乗りました。

 

11.株式会社松岡製菓(1958年創業)

旅の終わりは、あの「満月ポン」で世界的に有名?な大阪市住之江区の松岡製菓です。

この日は休業日だったようです。

株式会社松岡製菓の看板を撮影しました。(2006年当時)

(おわり)