泉大津の浜街道を歩く | 鉄道で行く旅

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大阪府泉大津市の浜街道を歩いてきました。

(撮影日は2022年6月13日です)

南海電車の難波駅から空港急行に乗車して泉大津駅に向かいました。

 

乗り換えでの利用はあるものの、改札外へ出たのは初めてだった泉大津駅です。

 

泉大津駅にあるアンスリー N.KLASS泉大津店です。

「N.KLASS」は、泉大津駅高架下の商業施設です。

(2022.9.29追記:南海アンスリーもセブン-イレブンに変わるようです)

 

泉大津駅の東出口から眺めた「アルザ泉大津」とアルザタワーズ(超高層マンション)です。

 

泉大津駅の西口から浜街道まで歩きました。

泉大津駅西口で見たアジサイです。

 

大津神社の前を通りました。

【大津神社について】

大津神社鎮座の起源は「小津の泊まり」に祀られた小祠であったといわれます。
その後鎌倉時代に八幡大神を勧請し、以来「若宮八幡宮」と称していましたが、明治四十一年に、 宇多神社、神明神社、菅原神社の 三社を合祀し、事代主神社を境内社として合併し、式内粟宮を 境内に移築した際に、「大津」の総鎮守として、「大津神社」と改称されました。

 

【大津の由来】

「大津(おおつ)」はもともとは 「小津(おづ)」と呼ばれていたようです。
「小津」は、国津・国府津から転じたものといわれ、 和泉国の国府の外港という意味です。

 

【浜街道】

 この道は、延宝絵図(江戸初期の検地の際に描かれた絵図)の中では内町筋として記されています。

 当時は町の中心を南北に通る道として、多くの人々に親しまれてきました。

現在は、この道と交差する九本の道と街並みが残されています。

 この道は、紀州街道の浜側を通る道筋という意味合いと、「浜」への愛着心、そして、江戸時代初めから続く歴史ある街並みを大切に守ろうとする市民の情熱から、この道に親しみを込め浜街道と名付けたものです。

 まちなみ景観保全部会

 

浜街道には虫籠窓(むしこまど)がある中二階(厨子二階)の町屋建築が幾つか残っています。

虫籠窓とは、は主に漆喰の「塗屋造り(ぬりやづくり)」と呼ばれる町家建築の厨子二階部分に、縦に格子状に開口部を設けた固定窓のことです。

 

虫籠窓と鐘馗さま(魔除けのためのもの)です。

 

アジサイと町屋です。

 

詳しいことは分かりませんが、お供えを入れるための木箱のようでした。

 

浜街道の地蔵堂です。

 

凝ったデザインの虫籠窓です。

 

郵便ポストと銅板葺きの袖壁です。袖壁は、いわゆる「うだつ」です。

 

古風な街並みが続きます。

 

パナソニックの電器屋さんも、浜街道では、このような外観です。

 

まだまだ、町屋建築が続きます。

出格子がある町屋です。

 

袖壁がある町屋です。

 

この町屋には、ちょっと変わった出格子がありました。

 

以上が、泉大津の浜街道の街並みでした。

 

紀州街道を経由して泉大津駅に戻ります。

 

紀州街道から眺めたアルザタワーズです。

アルザタワーズは、ツインタワーで構成されており、山側がグリーンタワー、浜側がブルータワーと呼ばれています。1994年8月の竣工で、高さは121.45mです。

 

紀州街道にある泉大津の中央商店街です。

 

中央商店街の内部です、学生服の店、学校図書を扱うと思われる書店などがありました。

 

泉大津駅に帰り着きました。

(おわり)