名古屋の旅・金鯱編(2000年10月) | 鉄道で行く旅

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今回は2000年10月に愛知県の名古屋市で撮影した画像です。このときの名古屋の旅のテーマは『金鯱』でした。

名鉄の東枇杷島駅に着いたところです。車両は3100系です。

 

名古屋市西区枇杷島1丁目1−1にある市営枇杷島荘です。

 

名古屋市西区枇杷島1丁目1−2(枇杷島荘の隣接地)にある市営の枇杷島スポーツセンターです。

 

市営枇杷島荘の壁面です。以前から気になっていた「金鯱」マークを間近で見ることができました。

 

市営枇杷島荘の壁面の「金鯱」です。

 

市営枇杷島荘の全景です。

 

名古屋市西区枇杷島3丁目10にある曹洞宗の清音寺です。

 

「名古屋市教育委員会」による清音寺の説明です。
曹洞宗 治承三年(1179)時の太政大臣藤原師長は、平清盛のため尾張国井戸田に流された。
師長は村長横江氏の娘を寵愛したが、後に赦されて都に帰るとき、形見に守本尊の薬師如来と白菊の琵琶を残した。しかし、娘は別れを悲しみ、ここで身を投じたという。
その後この地を琵琶島と名付け、娘の菩提を弔うためこの寺を建立した。寺号の清音寺は娘の法号清音院からとられている。
 

名古屋市西区枇杷島3丁目10の地に、当時あった屋根神様です。(現在は建物が建て替えられ、この屋根神様は消滅しています)

屋根神様とパノラマスーパーの自由席車です。

 

屋根神様と5500系です。(名鉄5500系は2005年に全廃されました)

 

屋根神様とパノラマスーパーの指定席車です。

名古屋の屋根神様は、祠の中に、火伏の秋葉神社、厄よけの津島神社および武運長久祈願の熱田神宮を祀っています。

 

7500系パノラマカーと屋根神様です。(名鉄7500系は2005年に引退しました)

 

2000年10月当時の東枇杷島駅です。

 

この日の昼食場所です。名古屋市中区錦3丁目の「いば昇」で「ひつまぶし」を食べました。

 

名古屋三越栄店の屋上で撮影した2000年10月当時の「鯱の児之像」です。これは、オリエンタル中村百貨店時代の遺物でした。

 

地下鉄で名古屋港に移動しました。

名古屋港ガーデンふ頭に保存されている「南極観測船ふじ」です。

南極観測船ふじは、初代の宗谷に続く二代目の南極観測船で、1965年(昭和40年)から1983年(昭和58年)まで、18回(7次~24次)の南極観測業務に従事しました。
海上自衛隊により運用され、退役の後は博物館として、名古屋港の名古屋ガーデン埠頭に係留されています。

 

名古屋港ガーデンふ頭に保存されている名古屋~大分間を結んでいた太平洋フェリー「あるごう(7000トン・1980年に引退)」の「金鯱」のバウマーク(船首飾り)です。

 

名古屋港の駐車場で見た「鯱バス」です。この2000年当時は「東急鯱バス」でしたが、2009年に東急グループから離脱して「鯱バス」になっています。

 

名古屋港の自販機で購入した名古屋牛乳です。(名古屋牛乳は2014年3月をもって乳業事業からは撤退しましたが、販路を受け継いだ日本酪農協同が「名古屋牛乳」ブランドを引き継ぎ、現在も商品が販売されているということです

♪とても とっても げんきなの なごや牛乳 のんでるの
 シャチの マークの 牛乳を
 うちじゅうみんなでのんでるの なごや牛乳 のんでるの

 

2000年10月に名古屋港で撮影した名古屋港遊覧船(名鉄海上観光船)の「平成1」です。

名古屋港遊覧船(名鉄海上観光船)は2006年11月末をもって廃止になりました。

 

「平成1」は平凡な形状の遊覧船でしたが、2000年4月4日までの名古屋港遊覧船は「金鯱」型の船でした。

独特なデザインで、人気が高かった「金鯱」です。詳しいことは知りませんが、惜しまれながらも、合理化のために一般的な遊覧船「平成1」に置き換えることになったと聞きました。

私自身は金鯱型遊覧船を見たことがないため、滋賀Y氏が撮影した画像を借りています。

 

旅の終わりに名古屋城に立ち寄り、本物の「金鯱」を見ました。(2000年10月)

(おわり)