大阪七福神めぐり(2022年1月) | 鉄道で行く旅

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2022年1月8日に兄家族が「大阪七福神めぐり」に行ってきましたので、そのときの模様を今回の記事にします。

大阪環状線玉造駅と323系です。(2019年10月撮影)

 

2014年3月に撮影した大阪環状線の玉造駅付近の画像です。「ビエラ玉造」開業時の撮影です。

 

ここから下が、兄家族の「大阪七福神めぐり」です。

「大阪七福神めぐり」は、七福神を祀る大阪市内の社寺7カ所を巡るもので、歩行距離は8㎞弱です。

JR西日本の大阪環状線玉造駅です。(10時39分)

ここから歩き始めて、1カ所目の三光神社に向かいました。

 

7カ所の社寺の地図です。

 

1カ所目(寿老神の三光神社)

天王寺区玉造本町の三光神社です。(10時45分)

かつてこの一帯には真田丸があったため、真田幸村(真田信繁)ゆかりの地とされています。

 

(参考画像)

真田丸

真田山三光神社の真田幸村(真田信繁)像と「真田の抜け穴」です。(2015年12月撮影)

 

三光神社で「大阪七福神めぐり」7カ所の御朱印をいただくための色紙を購入しました。

 

寿老神は富貴長寿の神です。

 

2カ所目(福禄寿の長久寺)

2カ所目の長久寺は中央区谷町8丁目にあります。淀君ゆかりの寺とされています。(11時11分)

福禄寿は招徳人望の神です。

 

3カ所目(弁財天の法案寺南坊)

中央区島之内にある法案寺南坊です。(11時32分)

寺伝によりますと、推古天皇の頃(593年~628年)に聖徳太子が志宜野(しぎの:現在の城東区鴫野の西側である法円坂の地)に法案寺を建立したのが、この寺の歴史の始まりということです。

 

法案寺南坊の境内にある弁財天社です。弁財天は知恵財宝の神です。

 

法案寺南坊から宝満寺大乗坊への移動途中で渡った道頓堀川です。この場所は堺筋の日本橋(にっぽんばし)です。(11時54分)

 

4カ所目(毘沙門天の宝満寺大乗坊)

浪速区日本橋にある宝満寺大乗坊です。(12時5分)

ここの秘仏本尊の毘沙門天は、かつては60年に一度の開帳でしたが、現在では毎年春秋2回(5月と11月の第2日曜日)開帳されています。毘沙門天は融通招福の神です。

 

宝満寺大乗坊に展示されていたものです。これは、大阪大空襲のときに米軍が投下した1トン爆弾(不発弾)の尾翼部分です。

宝満寺大乗坊は「ソフマップなんば店ザウルス1」の南隣にあります。いわゆる「でんでんタウン」の「オタロード」の街区です。

 

5カ所目(日出大国神の大国主神社)

浪速区敷津西1丁目にある大国主神社です。(12時30分)

大国主神社の日出大国神は福徳開運の神です。

 

大国主神社(木津の大国さん)は、延享元年(1744年)2月に出雲大社の大国主大神の御神霊を勧請したとされています。

この神社の名称が「大国(旧・大国町)」の地名や大阪メトロの「大国町駅」の駅名の由来になっています。さらに、道頓堀川の「大黒橋」も、この神社の参道に当たることから命名されたということです。

大阪メトロの大国町駅です。(2019年1月撮影)

私の少年時代は、大国町と言えば、「靴のトミヤマ」でした。「靴のトミヤマ」は2002年頃につぶれたようです。

 

大国主神社と同じ境内にある敷津松之宮(この地の氏神様)の拝殿です。こちらの敷津松之宮が境内の本社で大国主神社は境内摂社(付属神社)という関係です。日出大国神の御朱印は敷津松之宮の拝殿の受付でいただきました。

 

敷津松之宮・大国主神社の境内にある木津勘助の像です。

木津勘助(本名・中村勘助)は、慶長から元和にかけて活躍した土木技術者で、木津川を開削して勘助島(現・浪速区大国町)を開発しました。幕府からも非常に重用されましたが、寛永16年(1639年)に大坂が冷害で大飢饉となった際は、私財を投げうって村人に分け与え、それでも足りないということで、命がけで大坂城の備蓄米の「お蔵破り」を決行して、飢饉に苦しむ人々を救済しました。

その結果、勘助は捕えられ、葦島(現在の大正区)への島流しとなり、万治3年(1660年)に75歳で亡くなります。その生きざまは、歌舞伎、文楽、講談、落語などの題材となり、浪速の義侠「木津の勘助」の名を不朽のものとしました。

【大国主神社から今宮戎神社への移動途中に昼食をとりました】

 

6カ所目(えびす大神の今宮戎神社)

浪速区恵比須西1丁目にある今宮戎神社です。(13時28分)

大阪で「えべっさん」と言えば、この今宮戎を思い浮かべる人が多いと思います。

ここの神社名が南海の今宮戎駅の駅名になっているほか、参道に当たる道頓堀の戎橋や戎橋筋商店街の名称にもなっています。また、大阪メトロ堺筋線の恵美須町駅や阪堺電気軌道の恵美須町(通天閣前)停留場も今宮戎神社の名称と関係していると考えられます。

南海電気鉄道の今宮戎駅です。(2018年5月撮影)

 

阪堺の大阪市電塗装車

「えびす町」行の阪堺電車です。2013年に実施された「新世界&天王寺動物園100年祭」大阪市電特別塗装です。(2013年6月撮影)

 

えびす大神は商売繁昌の神です。十日えびすの期間ではないので、境内は空いていました。

今宮戎神社は、推古8年(600年)に聖徳太子が四天王寺を建立する際に、その西方の守護神として建立されたと伝えられています。

 

7カ所目(布袋尊の四天王寺布袋堂)

天王寺区四天王寺にある四天王寺です。(14時13分)

四天王寺は、聖徳太子が推古元年(593年)に建立した、日本仏法最初の官寺です。

あべのハルカス

また、四天王寺の名称が、JR天王寺駅、大阪メトロ天王寺駅、大阪メトロ四天王寺前夕陽ヶ丘駅および阪堺電気軌道天王寺駅前停留場の駅名・停留場名の由来になっています。(2014年2月撮影)

 

四天王寺の西大門(極楽門)の正面手前の右側にあるのが布袋堂です。

 

布袋尊は笑門来福の神です。布袋尊の御朱印は、ここではなく四天王寺の納経所でいただきました。

 

7カ所の寺社で御朱印をいただいた後の「大阪七福神めぐり」の色紙です。

 

大阪メトロ谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅に着いたところです。(14時50分)

(おわり)