奈良西ノ京と大和郡山の旅 | 鉄道で行く旅

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今回は、私の兄が奈良大和路を旅したときの画像を利用した記事です。撮影日は2022年1月5日です。

注:画像の下の説明文は兄のメモ書きを転記したうえで加筆したものですが、兄本人が書いた形にしています。

近鉄の大阪難波駅から大和西大寺駅を経由して西ノ京駅へ向かいました。

 

西ノ京駅です。

 

西ノ京の薬師寺に着きました。與樂門(こうらくもん)から境内に入ります。

 

薬師寺の境内です。

 

薬師寺西僧房において東塔の旧・水煙(1300年前に作られた大修理前のもの)が特別公開されていました。特別公開期間は2021年3月1日 ~ 2022年1月16日です。

 

薬師寺建立の由来が記されている「東塔相輪擦銘(奈良時代)」も展示されていました。

 

薬師寺の金堂です。1976年の再建です。

 

国宝の薬師寺東塔です。天平2年(730年)の建立と考えられています。(2021年2月15日に大修理が完了しました)

 

薬師寺東塔の大修理完了を記念して制作された陶製の「東塔おみくじ」です。薬師寺東僧房で授与しました。「東塔おみくじ」は高さが5㎝で幅が3.5㎝ぐらいの大きさです。

この「東塔おみくじ」は、工芸生活雑貨を扱う奈良の老舗「中川政七商店」と薬師寺のコラボレーションによって実現したものです。

 

1981年に再建された薬師寺西塔です。

 

撮影名所の大池から遠望した薬師寺の東塔と西塔です。(撮影レンズの焦点距離は標準ズームレンズの120㎜です)

 

薬師寺から大池の撮影地までの距離は片道で約1.2㎞です。

 

望遠ズームレンズに交換して撮影した薬師寺の東塔と西塔です。(撮影レンズの焦点距離は270㎜です)

 

ズームレンズの望遠側で撮影した薬師寺の東塔と西塔です。(撮影レンズの焦点距離は360㎜です)

 

薬師寺の玄奘三蔵院伽藍も拝観しました。

 

薬師寺の玄奘三蔵院伽藍を拝観した後、近鉄で西ノ京駅から近鉄郡山駅(大和郡山市)まで移動しました。

大和郡山は、かつての勤務地だったところです。

昼食をとる予定にしていたSan Naotoです。残念なことに休業日でした。

 

やむなく、モスバーガー近鉄郡山店を利用しました。

 

昼食後に、近鉄郡山駅の前を通り過ぎました。

 

このコインパーキングになっている場所が、大和郡山勤務時代(1994年12月から1999年3月までの勤務地)の事務所があった場所の跡地です。事務所が奈良市内(新大宮駅付近)に移転したことは知っていましたが、建物が消滅している現地を見ると感慨深いものがありました。

 

郡山城跡公園で撮影した画像です。カモが泳いでいました。

 

郡山城は筒井順慶によって築かれた城です。その後、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長の居城(大和・紀伊・和泉 百万石)となりました。

 

江戸時代には譜代大名が歴代城主(郡山藩)を務め、1724年(享保9年)に、柳沢吉保の長男である柳沢吉里が15万石で入封した後は柳沢氏が明治維新まで居城としました。大和郡山における金魚養殖は柳沢吉里の時代に始まったものです。

 

郡山城跡の天守台を整備した展望施設です。

 

郡山城跡の展望施設から見た若草山方面の風景です。右寄りにある木造建築は城址会館です。城址会館は、興福寺境内にあった1908年(明治41年)竣工の奈良県立図書館を、この地に移築したものです。

 

大和郡山の本家菊屋本店です。

天正13年(1585年)に、豊臣秀長が郡山城に入った際に、豊臣秀長の御用菓子司として和菓子の製造・販売を始めたのが、この本家菊屋本店です。参考までに書いておきますと、大阪・高麗橋に本店がある菊屋は、昭和時代に郡山の本家菊屋本店から別家独立した和菓子屋です。

 

本家菊屋本店で、銘菓・御城之口餅と鹿もなかを購入しました。

 

大和郡山勤務時代に勤務先の行事としての年始祈願をしていた郡山八幡神社(郡山の産土神)です。

調べてみたところ、郡山八幡神社が現在地に遷宮したのは豊臣秀長が城下を整備した天正13年(1585年)ということでした。

 

外堀緑地を経由してJR郡山駅(大和路線)まで歩きました。

 

JR郡山駅の橋上駅舎です。

 

JR郡山駅から大和路快速で大阪まで帰りました。

(おわり)