現在は富山地方鉄道富山港線(路線の一部は経路を変更)に変わっている国鉄時代末期の富山港線の旧型国電の画像です。
1985年3月ダイヤ改正で引退する直前の富山港線モハ72系(この当時の富山港線はクモハ73+クハ79が基本編成)の画像が中心です。
クハ79形です。クハ79の後期の製造車両で採用された「傾斜した前面窓」などの正面デザインは、新性能車の101系や103系にも採用されました。
参考画像
大阪環状線の101系です。(1969年)
関西本線で撮影した103系です。(1986年)
クモハ73形です。この車両には運転席窓の下に大鉄型ベンチレーターがついていました。
旧型国電といいながら、富山港線の旧型国電末期の車両は全金属製車だけが使われていました。昔懐かしい半鋼製車両はもう配置されていませんでした。
【参考画像】
1971年に国鉄尼崎駅で撮影した「クハ79形(半鋼製車)ほか」の東海道山陽緩行線の旧型国電です。
富山駅で見た489系の特急白山です。(1985年3月)
当時の富山港線の基本編成は2両編成でした。朝夕のラッシュ時にだけ4両編成(基本編成の2編成分)の列車が運行されていました。
いたち川を渡るクハ79です。
いたち川を渡るクモハ73です。富山の有名企業であるインテックの移転前の本社が、この近くにあったことを覚えています。
城川原駅と旧型国電です。
クモハ73です。
車両はクハ79です。城川原駅は上下列車の交換駅でした。
城川原には車両基地(富山第一機関区城川原派出所)が併設されていました。
城川原駅での列車交換風景です。
現在は「萩浦小学校前駅」の名称に変わっている大広田駅です。
この当時の大広田駅のプラットホームの左側には、貨物線としてまだ営業していた大広田~富山港間の貨物線(大広田線)がありました。
東岩瀬駅とクハ79+クモハ73(後方の車両)です。左側の軌道は貨物用の側線跡でした。
旧型国電時代の富山港線のクモハ73+クハ79(後方の車両)です。
(おわり)