先日投稿した「下関の旅」を書くために、関連画像を探していたところ、2000年8月に大阪市内で撮影した画像が出てきました。
今回は、自分でも撮ったことを完全に忘れていた画像を公開します。
桜島線の安治川口駅です。まだUSJが開業する前の画像で、車両も当時は普通の存在だった103系です。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(英称:Universal Studios Japan、英略:USJ)の開業は、この翌年の2001年3月末でした。
「JRゆめ咲線」という桜島線の愛称の使用も2001年のユニバーサルシティ駅の開業以降です。
安治川口駅で見た当時は吹田区所属のEF6652です。この機は2016年に廃車になっています。
1940年(昭和15年)1月29日に西成線列車脱線火災事故が発生した島屋町踏切です。
これはディーゼルカーへの改造後ですが、島屋町踏切で脱線火災事故を起したのは、この車体と同じデザインのディーゼルカー改造前のキハ42000形のガソリンカーでした。(九州鉄道記念館・2008年)
1929年製の鉄道省初の内燃車であるキハニ5000形気動車(復元車)が保存展示されていました。戦前の内燃車ですので変速機が機械式のガソリンカーです。正面の前照灯の上にあるのは機関冷却用のラジエーターです。(苗穂工場・2019年)
『日本で気動車エンジンがディーゼル機関に本格移行したきっかけは、1940年に発生した、西成線(後の桜島線)安治川口駅でのガソリンカー横転火災事故とされる。189人もの死者を出したこの大惨事によって、発火しやすいガソリンを燃料に用いる危険性がクローズアップされた』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2020年4月26日12時30分の内容を引用
この2000年に撮っていた画像を見て思い出したのですが、「島屋町踏切の脱線火災事故」の慰霊碑は、元々は島屋町踏切の近くの、この場所にあったのです。道路の拡張工事により元の場所から桜島駅側の100m先に移転しました。
移転先の「島屋町踏切の脱線火災事故」の慰霊碑です。
この2000年の撮影時には安治川口駅から桜島駅まで歩きました。
まだ工事中だったUSJです。
思い出の画像
昔の桜島線名所だった北港運河の可動橋です。(1986年撮影)
現在、この場所はユニバーサル・スタジオ・ジャパンのエントランス部分になっているそうです。そのため、北港運河跡の痕跡は全く残っていません。
現在のユニバーサルスタジオ前あたりだと思います。「2008年オリンピックを大阪に」の文字がむなしいです。(笑)
桜島駅の東側あたりです。
2000年当時の桜島駅と103系です。(2000年)
シンプルな駅だった時代の桜島駅です。(1986年7月)
続いて1976年に撮影した”大阪赤十字病院1976年”をリブログしての続編です。
大阪市天王寺区の大阪赤十字病院については1976年にモノクロフィルムで撮った記憶しかなかったのですが、旧病棟の解体直前の2000年にもデジカメで大阪赤十字病院の旧病棟などを撮影していたのです。
思い出の大阪赤十字病院の旧病棟です。(2000年)
1971年に撮影された国土地理院の空中写真です。
当時の大阪赤十字病院は、西側が病院の本館などで、東側が病棟(病室)でした。病棟は北側から北病棟、中病棟および南病棟の3列でした。
1970年に近鉄の上本町駅(2009年に大阪上本町駅に改称)で撮影した大阪線急行の2250系です。
昭和初期の建築だった南病棟です。(以降は再び2000年の撮影)
取壊し前のためか赤十字マークの赤色が消されているような感じです。赤十字のはずが白十字になっていました。
昔の大阪赤十字病院(大阪市天王寺区)の外来の玄関口です。西側の中央にあった建物です。
2014年に撮影した現在の大阪赤十字病院です。中央部分のアール状のデザインが昔の南病棟のデザインを継承しているようです。
もう、このあたりは、よく覚えていません。
「筆が坂」の南側にあった大阪赤十字病院の別館の建物の一部です。(2000年8月)
1976年に撮影した上と同じ建物です。
1976年に「筆が坂」で撮影した大阪赤十字病院の別館付近です。
昼間でも、ひっそりとした場所でしたので、夜間の通行は、大人でさえも、かなり怖かったと思います。古い病棟が林立していて、『大阪の魔界』のようでした。(1976年)
その後の「筆が坂」です。昔の面影は全くありません。(2014年撮影)
ついでに見つけた、かつての大阪の家電量販店街だった日本橋(にっぽんばし)の喜多商店の在りし日の画像です、
「来た! 見た! 買(こ)うた!」
【身辺抄】の番外編です。
ホッと!HANSHIN5月号の表紙
る阪神電車の駅に置いてあるフリーペーパーの5月号の表紙を飾る「さよなら赤胴車」の文字と写真です。
すでに阪神電気鉄道では、2020年3月16日に「赤胴車を2020年度内(*)に引退させ、1両を武庫川団地で保存する」と発表していますが、フリーペーパーの表紙で見ると、いよいよ引退かという感慨が湧いてきました。
(*)フリーペーパーの5月号には「2020年5月末に引退」ということが明記されていました。その後、6月以降に延期することが阪神電気鉄道から発表されています。
追記 最終的には2020年6月2日に赤胴車の運行を終了し、同年6月3日から武庫川線用5500系の運行を開始したそうです。
阪神電鉄武庫川線の赤胴車です。両開きドアの7890・7990形の編成です。(2020年3月撮影)
こちらは片開きドアの7861・7961形です。
2001年頃に大物駅で撮影した阪神3000系「赤胴車」の阪神本線特急です。阪神3000系は2003年に引退しました。
2008年に運用から離脱した8901形ほかの「赤胴車」の急行です。(淀川駅)
2006年5月に携帯電話の付属カメラで撮影したR車による5両編成(7801形・7901形・7861形・7961形)の阪神本線準急(当時の運用)です。
阪神なんば線開業前の阪神西大阪線の阪神7861形です。
おわり