「みさき公園」と「宝塚ホテル(旧)」の終焉 | 鉄道で行く旅

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1.2020年3月31日に南海電気鉄道の「みさき公園」が閉園しました。

「みさき公園」は1957年4月1日の開業ですから63年の歴史に幕を下ろしたことになります。

2002年に撮影した南海9000系の「みさき公園」ヘッドマークです。2002年春は「おジャ魔女どれみ ドッカーン」でした。

このヘッドマークは運用とは関係なく編成に取りつけられていたものですので、空港急行が「みさき公園」に行くわけではありません。

 

2018年4月に南海電車の車窓から撮影した在りし日の「みさき公園」の観覧車です。

 

和歌山市

1969年に「みさき公園」から見た淡輪(たんのわ)方面です。

 

子どもの頃に「みさき公園」に行った覚えがあります。イメージとしては、こういう緑色の電車でした。(南海1000系・元11001系)

テレビアニメ版の「じゃりン子チエ」では、「チエ」ちゃんが両親と一緒に「みさき公園」まで遊びに行ったときに乗車した電車の車内に近いのが、この車両です。その車内のクロスシート座席で、「チエ(声優は中山千夏)」ちゃんが都はるみの「北の宿から」を歌唱していました。その歌唱では歌詞の「セーター」の部分が「パッチ(ももひきの意味)」になっていました。

和歌山港線

往復ともに、テレビアニメ版の「チエ」ちゃんたちが乗車した電車の外観は、こういう感じのロングシートの急行電車になっていました。(画像の7100系または7000系)

南海11001系の初期車もクロスシート座席車でした。急行の看板マークつきです。

 

雪の日に撮影した鹿苑寺の金閣(2018年1月)

漫画の原作では出かける先が「みさき公園」ではなく「金閣寺」でした。移動にも京阪電車(絵としては旧3000系の特急)を利用しています。そのため、チエちゃんがア・カペラで歌ったのも原作では京阪特急の車内でした。

♪毛糸のパッチを贈ります 着てはもらえぬ このパッチ~ 寒さこらえて編んでます

(ア・カペラはイタリア語で礼拝堂で行う簡素な歌唱様式のことです。そこから転じて伴奏なしで歌唱する意味に使われます)

 

2002年当時の和歌山市駅の駅ビル(今は取壊し済み)です。まだ高島屋が営業していました。

2020年4月24日に再建後の「キーノ和歌山(商業施設、オフィス、ホテル、市民図書館が入居)」が開業する予定です。

 

2005年に廃駅になった南海和歌山港線の中間駅が2002年当時は健在でした。

 

思い出の久保町駅の駅名標です。

 

2.新しい「宝塚ホテル」は2020年5月14日(木)から宝塚大劇場横に移転して開業します。

↓2020年4月21日に株式会社阪急阪神ホテルズから開業日の延期が発表されています。

新型コロナウイルス感染症の拡大が続いているなか、この感染症の拡大防止と、お客様、従業員及び関係者の皆様の安全性について考慮し、新ホテルの移転開業日を2020年5月14日(木)から延期し、6月21日(日)とすることにいたしましたのでお知らせいたします。

2020年1月に撮影した工事中の新「宝塚ホテル(移転後)」です。

 

3.1926年(大正15年)創業の宝塚ホテル(移転前)が2020年3月31日に閉館になりました。

なお、最終日に現地に行くつもりでしたが、諸般の事情により自粛しました。今回は昔の画像を再利用しています。

宝塚駅から大劇場に向かう「花のみち」です。(2014年4月)

 

宝塚大劇場の近くの「花のみち」です。(2014年4月)

 

宝塚歌劇団100周年の年でしたので「宝塚歌劇トレイン」が走っていました。(2014年4月)

 

2016年5月に利用したときの宝塚ホテル(移転前)です。

玄関付近です。

 

右側の建物が1926年(大正15年)の創業以来の建物でした。

 

宝塚ホテル

旧・宝塚ホテルのバンケットルーム「すみれの間」です。

 

2016年5月当時のトップスターです。

 (敬称略)

轟悠(専科、元雪組トップスター)

明日海りお(花組)2019年退団

龍真咲(月組)2016年退団

早霧せいな(雪組)2017年退団

北翔海莉(星組)2016年退団

朝夏まなと(宙組)2017年退団

 

以前にも書いたとおり、知人の結婚披露宴の会場が、この宝塚ホテルでした。

 

宝塚ホテル

宝塚ホテル

ちょっと懐かしい感じがするホテルでした。

 

宝塚ホテルの中にあるティーラウンジ「ルネサンス」です。

 

このときはスフレパンケーキと紅茶をいただきました。

食器はNARUMI(鳴海製陶)製でした。

宝塚ホテル

(おしまい)