香港の旅(1999年) | 鉄道で行く旅

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1999年に初めて香港に行ったときの旅行記です。

その前まではアメリカ(非鉄な旅のため旅行記対象外)と英国・フランスには行っていましたが、アジアへの海外旅行は、これが初めてでした。

機場快線(エアポートエクスプレス)の緩行線にあたる東涌線です。

 

それでは香港国際空港に着いたところからです。もう啓徳空港ではなくチェクラップコク国際空港に移転していましたし、中国への返還後の香港でした。

ANAマイレージの国際線特典航空券による関空~香港便のANA機利用でした。

 

チェクラップコク国際空港です。

 

エアポートエキスプレスの機場駅です。ホームドアになっていました。

 

エアポートエキスプレスの車内です。空港から機場快線の香港駅まで所用時間が23分でした。

 

初めて目にする香港の住宅地です。

 

九龍駅(半島)では下車せずに機場快線の香港駅(香港島)まで乗車しました。

 

ホテルは九龍半島側でしたが、香港駅まで行ったのには理由があります。

先ずはスターフェリー(天星小輪)に乗りたかったからです。

 

スターフェリーは結構好きで、香港には2回しか行っていませんけれど、それでも合計すると6回乗船しています。

 

去っていく香港島の景色です。

 

尖沙咀(チムサーチョイ)に着きました。ここからホテルへは徒歩圏内です。

 

昔の九龍の尖沙咀駅の遺物として残っている旧駅の時計塔です。正しくは「九広鉄路鐘楼」というそうです。

 

香港返還直後の1997年に香港に導入された世界初の交通系(フェリカ)ICカードであるオクトパスカード(八達通)を購入して東鉄線の電車に乗車しました。

このときの香港では、まだ西鉄線が開通していなかったため、当時は尖沙咀(チムサーチョイ)の最寄り駅だったホンハム駅から東鉄線で上水駅まで移動しました。

 

この1999年の時点ではJR東日本のSuica(2001年にサービス開始)は、まだ実験段階であり導入されていませんでした。

このときの香港での交通系ICカードの体験により、香港が進んでいるというよりも、むしろ日本が遅れていることを実感しました。

 

東鉄線の上水駅です。

この上水駅からタクシーで軽鉄(ライトレール)の元朗駅まで移動しました。元朗駅や屯門駅は今なら香港の西鉄線の電車で行くことができる場所です。

 

香港の軽鉄の停留場で利用したICカードのリーダーです。

今では、見慣れていますが、1999年の段階では交通系のものとしては、まだ日本には存在しなかったものです。

 

当時の150万画素で手振れ補正のないデジカメで撮影した香港のライトレールです。

 

ライトレールの車内です。市街地に入ってからは満員になりました。

 

屯門駅に着きました。乗車体験としては、まあまあ満足な結果でした。

 

屯門埠頭の場所が分からなかったのでショッピングモールの警備員と筆談を通じて、埠頭の場所を教えてもらいました。

 

波により窓から見える景色が曇っています。

屯門埠頭から噴射飛航(ターボジェット船)で中環まで戻り、MRT(地下鉄)でホテルに戻りました。

宿泊したホテルは当時の日航ホテル香港(現在のニューワールドミレニアム香港ホテル)でした。

 

この翌日は香港から中国本土に入境して、広州まで往復しましたので、その旅行記は中国編で書きたいと思います。

旅行の3日目に移ります。

香港のMRT(地下鉄)です。

 

当時の香港地下鉄車内の握り玉です。珍しかったので撮影しました。

その後、車両の内部も更新され、今は普通の吊り革に変わってしまっているそうです。

 

香港島のトラムにも乗車しました。

 

中環からシャウケイワンまで乗車した香港島のトラムの2階席です。

 

途中の停留場で一番前の席が空いたので、その席に移動しました。

 

最後はビクトリアピークのピークトラム(ケーブルカー)です。

座席が全て山側を向いており、途中で傾斜がきつくなる場所では座席そのものの傾きが強くなるというヨーロッパのケーブルカーと同じ方式でした。

 

ビクトリアピークです。

私の年齢ですと、香港といえば、どうしても『Gメン'75』のヤン・スエさんを思い出します。

♪命捧げた 君よ眠れ

 

山頂で撮影したビクトリアピークのピークトラムです。

 

1999年には魔窟といわれた九龍城のスラム地区の建て増しビルは姿を消していました。

これ以前に、香港に行ったことがある先輩から香港に行ったときの昔話を居酒屋で聞いたことがあります。

無意識だとは思うのですが、その話の半分ぐらいは沢木耕太郎氏の「深夜特急」に酷似した内容でした。たぶん自分の体験と「深夜特急」の話が混在したのではないかと思いました。

(おわり)