別府から大阪空港まで(由布院の旅の最終回) | 鉄道で行く旅

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由布院の旅の最終回です。

今回は別府駅からです。

湯の町「別府」の玄関である別府駅です。

 

別府駅の東口にあった「手湯」です。

 

「手湯」の湯が溢れているところです。源泉かけ流しのようでした。

 

別府と言えば、別府ヒットパレードクラブですよね。

朝まで踊ろう / ヒットパレーダース (よっしーチャンネル)

 

そのまま海岸の近くにある別府北浜まで歩きました。

トキハ別府店です。百貨店のトキハが核になっている複合商業施設です。厳密には一部のフロアが企業のオフィスになっています。

 

トキハの地下1階には足湯もあります。利用客もいました。

 

別府に来るたびに目にしていた、たぶんトキハの西側にあったはずの「ビリケン」という名の和食店を見落としたような気がして、駅側に引き返しました。

数年前に「ビリケン」は閉店になっているようでした。大衆酒場「わりかん」に変わっていました。

しかし、よく見るとビリケン像だけは、今なお健在でした。画像中央の金色の像がビリケンさんです。

今回の観察により初めて知ったことは、この建物全体が「ビリケンビルディング」という名前であったことです。

 

約2時間後に乗車する予定の大分空港行のリムジンバス乗場を事前に確認しました。

別府では、このトキワ別府店の近くにあるバス停が別府市内で一番利用者が多い長距離バスのバス停のようでした。

右奥に別府タワーが見えていました。

 

別府北浜は、岡山の天満屋バスステーションのような大規模ではないものの、百貨店に隣接する重要なバス停という意味で似ているところがあります。

参考画像:岡山の天満屋デパート(2018年4月撮影)

 

別府の街歩きも空港リムジンバスの乗車時間までの時間調整のようなものですので温泉めぐりはしません。

数十年ぶりに別府タワーに入ることにしました。画像は別府タワーの入口です。

「グランシャトー(大阪の京橋にあるレジャービルです。ご存じのない方は無視してください)」のような昭和時代の香りが漂っていました。

♪グランシャトーはレジャービル グランシャトーへいらっしゃい

 

別府タワーは文化庁の登録有形文化財に登録されています。

 

別府タワーの外観です。ビルの上に塔が建っており高さは90mです。

当初のネオンサインの広告スポンサーは「サッポロビール」だったそうですが、私が記憶しているのは札幌テレビ塔と同じスポンサーである「ナショナル(現在はパナソニック)」でした。その後、契約が切れてネオンサインがなくなるという苦境の時期もあったようですが、今はアサヒビールの広告が出ています。『偉いぞ、アサヒビール!』

別府タワーの歴史は古く、名古屋テレビ塔(1954年竣工)と通天閣(1956年竣工)に続いて、1957年に竣工した、わが国で3番目の高層タワーです。

 

1階のエレベーター横の自販機で大人300円の展望入場券を買ってからセルフサービスのエレベーターに乗り、展望フロアのところにいるスタッフに入場券を渡します。

画像は展望フロアから見た別府湾です。砂浜は別府スパビーチという場所で、その左側の端に写っている樹木があるところが的ヶ浜公園です。

 

展望フロアにあった全日本タワー協議会の20タワーズです。

確認してみたところ私が展望台に入ったことがあるタワーは、このうち10ヵ所でした。私の国内タワーの入場達成率は50%です。

 

別府タワーの南側です。右側手前のビルがトキハ別府店です。

別府タワーでは、「写真撮影の有料サービス」がありませんでした。あれは無理に購入する必要はないことから見ると、決して押し売りではありませんから、サービスそのものの好き嫌いの問題だとは思うのですが、私は写真撮影がない別府タワーを「誠実なタワー」だと思いました。

 

別府スパビーチも立ち寄ってみました。別府は佐賀関に近いため、ここで関サバや関アジが脳裏に浮かんできました。

 

別府タワーから見えた大きな寺院を見に行きました。地方の場合は、大きな寺院は浄土真宗系が多いのですが、やっぱり浄土真宗本願寺派の「本願寺 別府別院」でした。龍谷大学の広告も出ていました。

 

別府北浜の裏道です。

これも昭和な風景である質店がありました。昔の質屋(単なる質店の場合と質店+古物商を兼ねている質店の2種類があります)は、こういう人目につきにくい場所にあったものです。

今の時代の「コメ兵」などのブランド商品リサイクルショップ(古物商)は、昔の質屋とは違い、駅前などの目立つ場所にあることが多いですね。『いらんモノはコメ兵へ売ろう!!「』

 

これは別府北浜のバス停で見た西鉄高速バス「とよのくに号」です。

この高速バスで別府北浜バス停から福岡の西鉄天神までは、運賃が3,250円で所用時間は2時間31分です。

JR九州の特急ソニックで別府から博多まで(小倉駅で新幹線に乗り換えない場合)の運賃は5,680円(普通車指定席)または5,150円(自由席)で別府駅から博多駅までの所用時間は1時間53分です。

この西鉄高速バスは、比較的若い人の利用が多く、満席ではないものの乗客は結構乗っていました。人気があるようです。

上の画像の左側の白い車両(885系)と下の画像のブルーの車両(883系)が特急ソニックです。

 

空港リムジンバスからの車窓です。日出(ひじ)を通過しています。

この日は、九州ではよくある、地方の駅伝大会(地方大会といいながらパトカーなどが先導する大きなイベントです)が公道で実施されており、空港バスの運行ダイヤに遅れが出ていました。

 

大分県の日出(ひじ)にある暘谷城(日出城)址と別府湾です。ここは城下カレイが生息しているところです(1992年8月撮影)

 

杵築駅付近を通過しています。

 

城下町である杵築の「酢屋の坂」です(1992年8月撮影)

 

当初は15分遅れというアナウンスでしたが、結局、大分空港道路(無料化されている高規格道路)で遅延を取り返し、ダイヤより5分程度の遅れで大分空港の着きました。

 

大分空港の展望デッキで着陸してきたJALのB737-800を撮影しました。

 

大分空港には航空会社ラウンジがないため、特定のクレジットカードで無料になる「ラウンジくにさき」を利用しました。

ここに入ったときは、ほぼ満席でしたが、東京(羽田)便の搭乗開始のアナウンスと同時に人がいなくなりました。

 

やがて大分発大阪(伊丹)行の搭乗時間になったためANA機(ボンバルディア DHC8-Q400)に向かいました。

 

ANA機の離陸直後です。周防灘から伊予灘へと進んで行きます。

豊予海峡は、反対側の窓(南側)からの眺めになるため、見ることができませんでした。

また、たいへん残念なことながら、大月みやこさんが歌唱する「豊予海峡」は覚えていません。

星野哲郎さんが作詞した歌詞の一部は『♪がんばろうね ふたりでね 影がより添う 豊予海峡』になっていました。

 

四国の真上を飛んでいます。

もう徳島県を流れる吉野川が見えてきました。阿波川島駅あたりだと思います。

 

徳島線を走る1000形のディーゼルカーです。(1996年8月撮影)

 

和歌山市の上空です。南海本線の紀ノ川橋梁や和歌山市駅、それに和歌山競輪場が見えました。

有吉佐和子さんの『紀ノ川』を思い出しました。

 

和歌山の旅(2015年)後編

2015年4月に南海の紀ノ川橋梁で撮影した特急サザンプレミアムです。

この後、やや大回りな着陸コースを取り、南海電鉄千代田工場の上を通過して伊丹空港に着陸しました。

(おわり)