由布院から別府まで | 鉄道で行く旅

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この日の朝は、由布院温泉の旅館から由布院駅まで歩きました。

前日の到着時は観光客で混雑していたため撮影しなかった由布院駅の駅舎です。

 

1990年に竣工した現・由布院駅舎を見るのは2回目でしたが、じっくり見ると素晴らしい建築でした。

設計者を知らなかったため、調べたところ大分市出身の磯崎新氏でした。たいへん有名な建築家です。

この由布院駅の天井は、イタリアのフィレンツェにあるサン・ロレンツォ聖堂に付属する「君主の礼拝堂(メディチ家の礼拝堂)」をイメージして設計されています。

 

フィレンツェのメディチ家礼拝堂です。(2018年6月撮影)

 

ただし、私の場合は「花より団子」ですから、フィレンツェなら「礼拝堂よりも本場フィレンツェのジェラート」です。(2018年6月撮影)

 

【思い出の画像】1989年の由布院駅

由布院駅の先代駅舎です。(1989年)

 

由布院駅とキハ31形です。当時の写真を見ると跨線橋はあったものの、後年にバリアフリー用に増設された構内踏切はまだありませんでした。(1989年)

 

1989年に由布院駅から大分駅まで乗車したデビュー直後の「ゆふいんの森」です。(1989年)

 

今回の旅に戻ります。

高齢者や身体の不自由な方のために増設されたと思われる由布院駅の構内踏切です。

 

クルーズトレイン「ななつ星in九州」の乗車位置がありました。ここでは、乗車位置を見ているだけです。

 

これから乗車する別府行の特急ゆふ号が由布院駅に入線してきました。

 

この日の特急ゆふは4両編成でした。

 

途中停車駅の湯平(ゆのひら)駅です。湯平温泉の歴史は由布院温泉よりも古いそうです。

湯平温泉は1930年(昭和5年)に種田山頭火が2泊した温泉地です。その関係で、駅から少し離れている湯平温泉に山頭火ミュージアム「時雨館」や山頭火の句碑があります。

また、この湯平駅の駅前にも山頭火が湯平温泉で詠んだ句を刻んだ石碑があります。

しぐるゝや 人の情けに 涙ぐむ (山頭火)

この湯平駅や湯平温泉は「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」のロケ地でもありました。

 

2012年に完了した大分駅付近連続立体交差事業の高架区間に入った久大本線が日豊本線と合流し大分駅に到着する手前の場所です。

 

別府湾が見えてきました。数十年前に高崎山自然動物園(サル山)や水族館マリーンパレス(2004年閉館・2004年に「うみたまご」が開館)に行った覚えがあります。たしか『ケペル先生(の電動式人形?)』がいたという記憶が残っています。

♪何でも考え、何でも知って、何でもかんでもやってみよう ・・・ ケペル先生、また来週。

 

これも懐かしい別府の遊園地である「ラクテンチ」です。

 

特急ゆふの終着駅である別府駅に着きました。

 

本当は、ここから特急ソニックと山陽新幹線で帰りたいところです。今回は無料航空券に負けました。

♪貧しさに負けた~ いえ無料に負けた~(「昭和枯れすゝき」からの引用です)

2018年3月に長湯温泉と豊後竹田を旅したときに乗車した特急ソニックです。

 

大分駅は2年前にも利用しましたが、この別府駅は20年ぶりの下車でした。

別府駅は昔から高架駅(1965年以降)ではあったのですが、大分駅付近連続立体交差事業のときに嵩上げされ、商業施設も一新されていました。

 

昼食時間でしたので、その「えきマチ1丁目」に入ったところにあったイタリアントマトカフェを利用しました。

ここでは、あさりとほうれん草のクリームパスタをいただきました。

平凡な日常に戻ったような気分になりました。

(つづく)