SKYコインの旅(渋谷の後編) | 鉄道で行く旅

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今回は渋谷駅ハチ公前広場以降の後編です。

渋谷区が所有する「青ガエル観光案内所(初代の東急5000系5001号のカットモデル)」の今後の活用について模索した結果、渋谷区と「忠犬ハチ公」の縁により交流がある秋田県大館市へ東急5000系カットモデルを移設し、両市区の親交の象徴として活用を目指すことになったそうです。

(注:この2月6日の撮影段階では「東急5000系カットモデル」の秋田県大館市移転の公表前でした。2020年2月9日にプレス発表が行われました)

ハチ公の故郷である秋田県の大館駅前のハチ公像です。(2001年5月撮影)

この像も、今は大館駅前から少し離れた場所に移設されているそうです。

 

1986年1月に田園調布駅(地上時代)で撮影した東急目蒲線(現在の東急目黒線)の5000系(初代)です。

 

渋谷のスクランブル交差点です。一番長い部分で70m弱の距離だということです

大阪駅北側の芝田や南海難波駅前に、渋谷ほどの規模ではないものの、そこそこの規模のスクランブル交差点がありますので、この交差点を見ても、それほどの絶景という感じはしません。

ご参考程度の情報としては、スクランブル交差点の数が多い都道府県の順位は、1位が長野県、2位が大阪府、3位が愛知県です。

 

2019年4月に新しいロゴに変わっていたらしい渋谷109です。新ロゴになっていたことは、これを見るまで知りませんでした。

 

熊本電鉄5000形

2006年2月に撮影した熊本電気鉄道5000形です。元東急の初代5000系だった車両です。(青ガエルは熊本でも引退済みです)

 

熊本電鉄5000形

その車内にあったSHIBUYA109の旧ロゴの吊革です。なお、熊本県にはSHIBUYA109はありません。

SHIBUYA109(109の関連事業の店舗を除く)があるのは、東京渋谷、大阪阿倍野橋、鹿児島および香港です。

 

道玄坂の東急百貨店本店(1967年開業)とBunkamura(1989年開業)です。

この右奥がハチ公と上野博士の住居があったところです。

(2022年11月追記)渋谷駅にあった東急百貨店の東横店に続いて、東急本店が2023年1月31日をもって閉店します。

東急本店跡地は、2027年にルイ・ヴィトンなどの高級ブランドを傘下に持つLVMH関連会社と手を組み高級複合施設に生まれ変わる予定ですが、その計画もあり隣接するBunkamuraも2023年から長期営業休止に入ります。

 

今は西武セゾンではなくJ.フロント リテイリングの連結子会社になっているパルコの「渋谷PARCO」です。これも2019年11月にリニューアルオープンしたところです。

渋谷が1970年代後半以降に学生などの若者が集まる繁華街になったのは、どちらかというと東急グループよりも1973年に渋谷に進出してきた旧・西武セゾングループ(元・西武流通グループ)の貢献が大きかったのではないでしょうか。それまでの渋谷は、商業ビルの建設には不向きな土地とされており、新宿や池袋のような大繁華街にはなっていなかったのです。

 

旧・西武セゾングループが命名したとされているスペイン坂を歩いて渋谷駅付近まで戻りました。

 

渋谷マークシティイースト(渋谷エクセルホテル東急があるホテル棟)です。

この上に京王井の頭線渋谷駅があります。渋谷マークシティは京王電鉄・東京メトロ・東急が老朽化していた複数の建物を共同で一体化して再開発したものです。現在、名古屋の『名駅』で名鉄、近鉄グループホールディングス、日本生命保険および三井不動産が老朽化したビル群を一体で再開発しようとしていますが、この渋谷マークシティの再開発方法とよく似ています。

今の時代は、国内のどこでも、呉越同舟方式になってきているのですね。

 

今回、驚いたのが東急東横店東館(旧・東横百貨店の部分)と運命を共にして消えたのだろうと思っていた「東横のれん街」が渋谷マークシティイーストの地下1階に移転していたことでした。

思い出の東急の電車内の「東横のれん街」と「東急食堂」の広告入り吊革です。

 

1986年1月に撮影した京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)井の頭線です。この井の頭線が元の「帝都電鉄」だった部分です。

 

渋谷マークシティウエスト(オフィス棟)に向かっているところです。東京メトロ銀座線の車庫(電留線)は、渋谷マークシティウエストの建物の中にあります。

 

渋谷マークシティウエストの出入口です。

 

渋谷マークシティウエスト(オフィス棟)とウェーヴ通りの坂道です。

 

そこから「セルリアンタワー通り」を南に進み玉川通りに出ました。

ん、今は「セルリアンタワー通り」と言うのですか。

あいまいな昔の記憶では、大和田(太郎)道玄に因んだ「大和田通り」と呼んでいたような気がします。

大和田道玄は渋谷の道玄坂で鎌倉時代に山賊(野盗)のようなことをしていた人物です。道玄は、私が鎌倉の和田塚を見たときに記憶に残った和田義盛一族の残党だった人物でした。

江ノ島電鉄の和田塚駅と和田塚(2000年5月撮影)

 

セルリアンタワー東急ホテル(2001年開業)です。1991年2月に、ある仕事で、旧・東京急行電鉄本社(1992年7月まではここに本社があった)を訪問したことがあります。・・・現在は東急株式会社(渋谷区南平台町に本社がある東急グループの持株会社)と事業子会社の東急電鉄(渋谷区神泉町)ほかに分離しています。

そのときの仕事では都内の複数の会社を訪問しましたが、一番親切に対応してくださったのが東急本社でした。

それにしても、その当時と同じ街とは思えないぐらいの激変ぶりでした。

 

今回の渋谷の最後の訪問地は桜丘地区です。画像のように再開発途中です。

地方人による昔の渋谷のイメージは、銀座とは方向性こそ違うものの、よそよそしい感じがする都会でした。ところが、昔の桜丘地区だけは、欧米人が言うところの駅裏(ダークサイド)そのものだったのです。直近の改札口さえなかったですし(笑)。

桜丘は大阪の十三とか大阪の京橋に近い庶民的な界隈であり、私に似合っていた場所だったのです。

 

浜松町駅への帰りにJR渋谷駅で見た「冬のしぶやぎキャンペーン」の広告です。

(つづく)