鍛冶屋線の廃線跡を歩く(中編2)中村町~曽我井 | 鉄道で行く旅

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今回の鍛冶屋線の廃線跡歩きは杉原川橋梁を過ぎたところの築堤区間から曽我井駅跡までです。

築堤から下り勾配になる区間を左に曲がっていきます。ここで小さな水路を渡ります。

 

水路を渡る歩道橋の基礎部分は鍛冶屋線時代の石造りの橋台のままでした。

 

勾配区間が終わるところで鍛冶屋線時代にはなかった平成時代に新設された道路と合流します。

鍛冶屋線が廃止になる頃に建設中だった「多可町文化会館ベルディーホール」が見えてきました。

このホールは、多可町が「酒造好適米である山田錦発祥の地」であるため、「日本酒のほろ酔いコンサート」などでも知られる日本酒好きの加藤登紀子さんが旧・中町の時代から毎年恒例の「日本酒の日コンサート」を開催しているホールです。

その関係で2019年2月に加藤登紀子さんが多可町の「山田錦PR大使」に任命されました。

♪この街には 不似合いな 時代おくれの この酒場に ・・ 

画像のこのあたりが旧・中町(現在の多可町中区)の中心地だったところです。元々は「村」だったところが、町政施行のときに「町」になったという経緯があります。

複数町を合併した広域の町とはいえ、政令指定都市でもない町名で「区」というには異質な感じですが、旧町名である「中」の地名を何としてでも残したかったのでしょう。

ということで「中村」→「中町」→「(多可町)中区中村町」という変遷になっています。

中村町駅の跡地です。

 

その見晴らし台の上から見た鍛冶屋線の廃線跡です。

 

中村町駅の駅名標です。

 

中村町駅跡付近の水路と旧家の建物の組み合わせが良い感じです。

 

あかね坂公園の地蔵です。これは公園の設置後に地域住民が安置した地蔵菩薩(平成時代に作られたもの)のようでした。

【地元の説明の引用です】

あかね坂公園は、兵庫県のほぼ中央に位置する多可郡中町(引用者注:広域合併後の現在は多可町中区)の主要地方道中柏原線と一般県道山南中線との交差点部にあり、平成2年3月31日に廃止された旧JR鍛冶屋線中村町駅跡に(主)中柏原線の道路区域の一部として県がコミュニケーション型県土づくりモデル事業として整備したものである。
JR鍛冶屋線中村町駅は、中町(現在の多可町中区中村町)の玄関口として地域住民に親しまれてきたが、鍛冶屋線の廃止に伴い、その跡地を新たな交流の場として活用したい旨地元から要望があったことによるもの。

 

あかね坂公園の紅葉です。

 

中村町駅跡にある『汽車』のモニュメントです。

 

再び西脇市方面に向かって歩きます。

 

南に向かって進んでいますが、この突き当たりを左に曲がるところから東に進みます。

 

東に向かっている廃線跡の道です。

 

昔はサンテレビのCMでよく見た「クワムラハムのクワムラ食品」の本社があることを示す看板が鍛冶屋線廃線跡の道路に出ていました。

不思議な縁(?)というものです。鍛冶屋線の曽我井駅がクワムラ食品の最寄り駅だったのですね。

 

♪クワムラハムの子 負けないぞ~ クワムラハムの子 頑張るぞ~

 

クワムラハム (sunup809)

 

JR移行後の1987年4月に鍛冶屋線西脇駅で撮っていた「クワムラハムのチキンハム」の駅広告看板と鍛冶屋線のキハ20です。

 

クワムラハム本社工場を過ぎたところに多可町立・北播磨の公民館「グリーンプラザ」があり、その敷地の一部になっているのが鍛冶屋線曽我井駅の跡地です。

 

曽我井駅の駅名標です。

 

以下の画像は、昭和時代の文字がほとんど消失しているため「画像編集ソフト」により意図的にコントラストを上げています。

国鉄時代に地元自治体の主導によって設置されたと思われる啓発看板が今も残っていました。

看板の上の部分に「みんなで守ろう国鉄鍛冶屋線」と朱書されています。

 

その下の黒い字のようなものは、すでに判読が困難な状態でした。

博物館の学芸員になったつもりで「古文書の解読」作業に取りかかりました。

色褪せた文字を調べた結果、おそらく下記のような意味の文字が書いてあったのだろうと思います。

・切符は往復を買いましょう。

・定期券は地元駅で買いましょう。

・通勤・通学・旅行には列車を利用しましょう。

(つづく)