美濃赤坂を歩く(中編) | 鉄道で行く旅

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JR美濃赤坂駅に着きました。電車の運行時間ではないため駅周辺を撮影しました。

岐阜なのに『西鉄サロン』???

美濃赤坂駅前の『西鉄サロン』という喫茶店です。

 

この看板を見た直後の10秒間ぐらいは九州の民営鉄道である西日本鉄道(西鉄=にしてつ)のことを考えました。

西鉄グループは全国各地に進出してはいるものの、さすがに岐阜県大垣市赤坂町への進出はありえないというカンが働きました。

 

そして、思い出しました!

↑表現方法が古すぎます。

↑この電球の絵はフリー素材を利用しました。

ここで脳裏に浮かんできたのが「西鉄(せいてつ)」でした。つまり西濃鉄道の略称です。西濃鉄道の車両の印象はB6の2109号ぐらいしか思い出せません。

いつものようにイメージ写真が常識はずれの古さです。(笑)

この2109号の画像は大井川鉄道時代の1972年に撮影しました。同機は、現在は埼玉県にある日本工業大学の工業技術博物館で動態保存中です。

注:「西鉄(せいてつ)サロン」の情報は『ウィキペディア(Wikipedia)』にも書いてありますが、現地に居たときには、その情報をまだ知りませんでした。

 

西濃鉄道の本社です。

「西鉄」と似た話では、近江鉄道が近畿日本鉄道よりも古い時代から「近鉄(おうてつ)→近鉄(きんてつ)」と呼ばれており、近江鉄道バスのバス停に近江鉄道バスを意味する「近鉄バス」と書いてあった時代がありました。

 

JR美濃赤坂駅の駅舎です。無人駅ですが駅事務所の場所に人の気配がしました。貨物輸送関係の業務で西濃鉄道の社員がJR東海から受託した業務を行っているようです。

 

あまり使われていないJR側の貨物ホーム跡です。右側の貨物用レールも保線車両が使うぐらいだということです。

 

西濃鉄道市橋線側から見た美濃赤坂駅です。

 

この後は、赤坂町の名所を見物しました。

お茶屋屋敷(おちゃややしき)跡です。周囲が竹穂垣で囲ってありました。

ちょっとばかりローカルネタですが、規模と雰囲気は奈良・学園前の百楽荘(現在は近鉄グループの料亭)のような感じです。

赤坂中学校の校地に土地を提供したため、これでも面積が半減しているそうです。

 

お茶屋屋敷は、江戸時代、慶長10年(1605年)ころ、徳川家康が上洛の往還に際して休泊のために設けた施設です。

 

今も赤坂宿には徳川家康の看板が出ています。中山道の宿場としての赤坂宿の重要性がよくわかりました。

 

お茶屋屋敷の内部です。現在はボタン園として有名なところのため通常の公開時期はボタンの開花時期です。(個人の所有地です)

この日はお茶屋屋敷跡の園内が公開されていました。この画像は竹林です。

 

廃藩置県のときに建物の大部分が取り壊されたということです。

 

お茶屋屋敷の「花と蝶」です。

♪花が女か 男が蝶(ちょぉぉう)か~ (森進一さんの歌からの引用です)

(つづく)