三木鉄道の廃線跡を歩く(序編) | 鉄道で行く旅

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気候が良くなってきましたので、三木鉄道の廃線跡を歩く気になり、阪神電車の大阪梅田駅から西へと向かいました。

阪神電車の尼崎車両基地を通過するときに、最近「噂」になっている阪神の新塗装車を確認しました。

もう一色の黄色塗装は確認できませんでしたが、緑色の車両がいました。

ネット情報では、この塗装変更車は5500系の5513F(4連)を「2連化×2編成(黄色が2両で緑色が2両)」に改造しているのでないかという話です。それが本当だとすれば武庫川線用車両の更新ということなのでしょう。

 

2019年11月現在の武庫川線用の車両です。

2006年の「鉄道の日はんしんまつり2006」のイベント列車「わくわくトレイン号」です。貸切とはいえ阪神本線で旅客を輸送した武庫川線用編成の混成4連でした。このときは7839+7939+7861+7961の編成になっていました。高架工事着手前の青木駅付近での撮影です。

 

三木鉄道廃線跡への旅に戻ります。

阪神の神戸三宮駅で下車し、三宮で所用を済ませた後、JR三ノ宮駅に移動してJRに乗り換えました。JR三ノ宮駅から見たフラワーロードです。

 

新快速の乗車位置が、たまたま、夕方に運転される下りの通勤特急「らくラクはりま」のグリーン車(くろしお用の289系6連)の乗車位置でした。

 

先々月に続いて、再び加古川駅で下車しました。加古川駅の「ニシカワパン」のイートインで昼食をとりました。

 

新駅舎の商業施設である「ビエラ加古川」のドトールとマルハチの間の出入口が昔の加古川駅玄関の復刻デザインになっていました。

加古川駅は高架化後に何度も利用しているのに、ここが復刻デザインであることに気がつきませんでした。

 

天井に懐かしい加古川駅の旧駅舎の説明が書いてありました。

加古川駅の旧駅舎は大阪の旧西成線(現在の桜島線・・・愛称はJR夢咲線)の桜島駅舎を1919年に移築したものでした。

1910年に竣工した桜島駅舎が1919年に不要になった理由は謎ですが(桜島駅の歴史の説明にも書かれていません)、大阪港の築港大桟橋が1905年に完成し、大阪港の中心部が桜島・天保山地区から安治川の外側(南西側)にある築港に移っていったからではないかと思います。

1900年頃の大阪港と西成鉄道(旧線)の天保山駅(1910年に廃止)を含む地図です。旧加古川駅舎になった桜島駅舎は1904年の国有化後に西成線のルートを変更し、1910年に新線の桜島駅を開業させたときの駅舎です。

桜島線

国鉄時代末期の桜島駅です。(1986年)

 

現在の加古川駅の北口です。

 

加古川駅の北側の昔の操車場跡地です。昔の面影は全くありませんでした。(訂正後の内容です)

 

これは山陽本線と加古川線ホームの間にあった小さな操車場(貨物車の仕分線)です。C12が貨車の入換作業を行っていました。

左が1971年当時の4番線(注:ホーム番号ではありません)で中央のC12-230がいるところが5番線、C12の右隣が6番線です。

 

これも1971年当時の加古川駅5番線で貨車の入換を行っているC12-225号機です。

 

加古川

「たかさん」のご教示によりますと、昔の機関区(加古川機関区→加古川気動車区→加古川鉄道部)は、県道18号線の西側にあったということですので、この画像の左奥あたりのようです。1968年11月23日に加古川駅の山陽本線上りホームから撮影した画像です。 (この部分は訂正後の内容です)

1967年の加古川駅周辺の地図を追加しました。

 

2019年現在の加古川駅5番ホームから加古川線の103系3550番台に乗車しました。

 

乗務してきた運転士によりワンマン機器がセットされた後の103系の車内です。

 

5番線の出発信号機が進行になりました。

この先の分岐器はシングルスリップスイッチであり、左側の6番線からの山陽本線への入出は可能ですが、5番線からは山陽本線の神戸方に入ることはできない配線になっています。

参考情報:加古川駅5番線は姫路方から山陽本線に入ることができます。加古川駅6番線の姫路方は行き止まりです。

(つづく)