真岡鐵道での初期デジカメ撮影記(1996年12月) | 鉄道で行く旅

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今回は1996年12月の年の瀬に訪問した真岡鐵道の画像です。

この日の画像は、以前にも部分的な記事で投稿していますが、今回は黎明期のデジカメの画像が中心です。

「フィルムカメラ」と書いていない画像はデジカメで撮影した画像です。

2004年に引退した真岡鐵道のDD1355がまだ健在でした。元は神奈川臨海鉄道のDD554(国鉄DD13と同仕様)だった車両です。

 

【このときに使っていたデジカメです】

1996年のデジカメ

このデジタルカメラは、オリンパスのCAMEDIA C800Lでした。画素数はたったの81万画素(1024×768)ですが、当時としては驚異的な高性能デジタルカメラでした。発売は1996年8月です。

このデジタルカメラはメディアの交換は一切できず、内蔵されているフラッシュメモリー(C 800Lは6MB)に画像を記録するものでした。

今回は当時のNECのPC98(パソコン)経由で2HDのフロッピーディスクに保存してあったものを、保管物である自宅のフロッピーディスクドライブから読み出しました。

♪ぶ~ ぶ~ ぶ~ ぶ~ ・・・ ドライブ側の「I/O速度」が遅いので、最新のパソコンといえども「死ぬほど」の時間がかかります。←懐かしい音と用語です。

 

下館駅のモオカ63形です。2006年に引退したはずです。

下館SPICA(しもだてスピカ)で、まだサティが営業していました。

 

下館駅で見た関東鉄道常総線のキハ2100形です。

 

真岡鐵道の北真岡駅から五行川橋梁まで歩きました。

 

「真岡ふるさと村」と書いてありますけれど、今は「真岡りす村 ふれあいの里」に変わっているようです。

 

CAMEDIA C800はシャッターボタンの押下と実際の撮影の間に1秒ぐらいのタイムラグがあったため、自分で予測して早目にシャッターボタンを押していました。これは自主的な「予測駆動?」方式でした。

この五行川橋梁は、後述する小貝川橋梁と同じ歴史を持っていると考えられている明治時代の古い鉄道橋です。

先日の記事の和歌山市内の新興橋や中橋と同類のポニーワーレントラスであり、明治政府のお雇い外国人だった英国人の鉄道技師「チャールズ・ボーナル」の設計とされているものです。

五行川は茨城県内では「勤行川」と書かれている場合がありますが同じ川です。

 

国鉄時代の末期に撮影した五行川橋梁です。

 

1996年12月(フィルムカメラのキヤノンEOS-1Nで撮影)

五行川橋梁を渡るモオカ63形です。(公開当初は裏向けのスキャン画像だったため画像を修正しました)

 

1996年12月(フィルムカメラのキヤノンEOS-1Nで撮影)

五行川橋梁を渡るC12です。

 

日が暮れてきたので真岡駅まで戻りました。

ちょうど駅舎の改築中だった真岡駅の仮駅舎です。

関東地方の方とレールファン以外には難読な真岡(もおか)の地名について真岡市による情報を引用(主要部分のみ)します。

地名由来については諸説があり、決定的な由来については不明である。
1.アイヌ語「マオカ」に由来し、風の強くあたる所・風の通る道の意から、台町一帯の風土がこれに該当し、マオカがモオカになったという。
2.真岡の真は美称で、台町一帯の丘(岡)が精美であるので、真岡になったという。

 

1997年に開業し、もうお馴染みになっているSL型の真岡新駅舎の完成予想図です。

この日は、真岡駅の近くのビジネスホテルに泊まりました。ところがホテル内のレストランが正月休業に入っており、もう大晦日の直前だったため町の中で夕食場所を探すのに苦労した覚えがあります。

 

1996年12月(フィルムカメラのキヤノンEOS-1Nで撮影)

夕食のためにホテルを出たときに、この写真写りよりも、見た目はさらに暗かった真岡駅構内で撮ったC1266です。

感度の低いリバーサルフィルムでしたので1/15秒ぐらいの流し撮りでした。

 

建設工事中だった新駅舎とモオカ63形です。C11の保存機もありました。

 

宿泊の翌朝です。

まだ国鉄時代の駅舎のままだった益子駅です。1998年に新しい駅舎に生まれ変わっています。

 

この日の朝は氷点下の寒さでした。関西では一度も見たことがない関東ローム層の巨大な霜柱を『♪わが人生 (*) 』で初めて見ました。

このときまで、これが霜柱だと思っていたものは、霜柱などではなく、単なる霜の範疇だったことを、この益子で知りました。

(*) ←細かい芸ですが、石原裕次郎さんの「わが人生に悔いなし」からの引用です

霜柱を踏みながら、たどり着いた小貝川橋梁です。

この橋梁は明治27年(1894年)に英国の「パテントシャフト&アクスルトゥリー」が製造した錬鉄製・ピン結合の ポニーワーレントラスです。転用元は不明ですが、大正2年(1913年)に真岡線に転用されたものです。

 

1996年12月(フィルムカメラのキヤノンEOS-1Nで撮影)

小貝川橋梁とモオカ63形です。

 

1986年の国鉄時代にフィルムカメラのニコンF3で撮影した小貝川橋梁の画像です。

慌てて撮ったのか?、レールラインが中央位置の状態で撮ってしまっています。

 

小貝川橋梁と国鉄キハ25形です。(1986年)

 

翌朝の真岡駅です。(1996年12月)

真岡駅で撮影したC12です。

 

当時の「真岡市物産会館」です。ここで真岡木綿製の巾着型の袋を買いました。

今もなお、旅行のときに、その袋を旅行専用の小物入れとして使っています。

 

1996年12月(フィルムカメラのキヤノンEOS-1Nで撮影)

C12の走行写真はフィルムカメラで撮影しました。

 

下館からの帰りに取手まで乗車した関東鉄道常総線のキハ300形(元国鉄キハ35系)です。このキハ300形も今はありません。

 

1985年4月(フィルムカメラのキヤノンNew F-1で撮影)

関東鉄道常総線で撮影したキハ752です。3扉ロングシートに改造されていますが、元・小田急電鉄のキハ5000形です。関東鉄道移籍前は電化前の御殿場線に乗り入れる「特別準急」の銀嶺、芙蓉、朝霧および長尾の車両として活躍していました。

撮影場所は下館駅の近くです。車両後方の道路が国道294号線です。

(おわり)